「つらくて苦しい思い出しかない」理由
「(15年のリーグ優勝から)5年間はつらくて苦しい思い出しかない」と昨年メディアで語っていたとおり、チームの勝利も個人の成績も伸び悩み、周囲からは厳しい言葉を投げつけられる日々でした。僕も気にしていましたが、SNS上にはそこまで言わなくてもいいんじゃないか、と思う言葉が溢れていました。中村はSNSをやっていますが、自分に投げかけられる言葉が可視化されて、それがあたかも「多数の意見」となっていくのを見るのはさぞかし辛かったと思います。
今の選手、とりわけチームの主力選手はこうしたSNS上の「意見」とも向き合わなくてはなりません。僕は現役時代、控え選手でしたので、彼らほどではありませんでしたが、それでも手痛いエラーを犯したときなどは、厳しい言葉がネット上に溢れました。
現在は球団職員という立場で、広報活動のためYouTubeに出たり、こうして文春野球さんでコラムを書いたりすると、さまざまなご意見、ご批判をいただくこともあります。
ご意見ご批判を受けることは、見られている、読まれている、関心を持たれている証拠なので、たいへんありがたいものだと思っていますが、やはり厳しい言葉はそれが匿名であってもどうしても気になってしまうものです。
正捕手が向き合ってきたこと
ネット上に書きこまれた10件のコメントのうち、たとえば、批判が2件なら真摯に受け止めようとなるのですが、これが1000件のうちの200件、1億件のうち2000万件となれば、たとえそれが賛同8000万件だとしても、批判のほうが、重く積み重なります。元控え選手で、いち球団職員と比べるのは、いくぶんお門違いかもしれませんが、主力選手であったり首脳陣であるなら、コメントの分母は僕とは比較にならない。その心労は僕の想像をはるかに越えます。
中村は少なくとも5年間そうした意見や批判とも向き合ってきたと思います。現在、2年目・19歳の内山壮真と併用でマスクを被っていますが、内山の受ける意見や批判と、中村の受けるそれらは全く違う種類のものです。軽度のケガをしただけでも、批判の的になってしまうこともある、これが正捕手という立場なのです。
苦楽を共にした仲間を守ってあげたい
たとえどんなことを言われても、次の試合はやってきます。中村はマスクを被らなくてはならないし、次の一球のサインを出さなくてはならない。でも、グラウンドに立つ人間はどんな批判も甘んじて受けなければならない、なんてことはないし、度が過ぎたら誰かが守ってやらなくてはならない。
一緒にグラウンドに立って苦楽を共にした仲間として僕は、中村を守ってあげたいと思っているし、なにかあったときは、球団は彼の盾になる義務があると思うのです。
さて次回は、先ごろ発表されたスワローズ「第5回イケメン総選挙」について、僕なりの見解を示したいと思います。
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