2022年11月15日、昼のミーティング中のことだった。スマートフォンの通知が鳴り止まない。何事かと思い、画面を見ると体に衝撃が走った。

「楽天・涌井秀章と中日・阿部寿樹がトレード」

 阿部寿樹は高校時代、岩手県立一関第一高校で共に野球をした同級生だ。同級生が、あの涌井秀章とトレード。昂るのも無理はない。寿樹がプロ入りが決まった2015年のドラフト会議の瞬間から私が夢見ていたのが、“プロ野球選手・阿部寿樹の実況をすること”。私は東北楽天を担当してきた実況アナウンサーだった。

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楽天入団会見での阿部寿樹 ©時事通信社

忘れもしない大学1年の秋のこと

 寿樹と初めて出会ったのが18年前。私は岩手県大船渡市から、地元を離れ一関第一高校に進学した。友達が1人もいない不安な中、「一緒に練習場に行こう」と声をかけてくれたのが寿樹たち。カラオケの実力もチームNo.1。柔らかい声で歌い上げる。我々にとっては、カラオケマスターだ。普段は優しい彼がグラウンドに立つと圧倒的な存在感を放った。春季大会からベンチ入り、秋からは遊撃を守り、打っては1番と早々とチームの主軸に。2年時の仙台育英との練習試合では、同学年のスター選手、佐藤由規から左翼席へ本塁打を放った。

 寿樹と、最速143キロのエースを中心とした一関一高は、3年春の大会で光星学院や青森山田高校を破り東北大会優勝。勢いそのままに迎えた最後の夏は、第一シードとして、3回戦で花巻東と対戦。中盤までリードしていたが、エースを打ち崩した後、ある1年生サウスポーがマウンドに上がった。菊池雄星という投手だ。ボールは暴れ、唸っていた。試合の流れが一変し、1点差での惜敗。プロに進むであろう選手の凄みを目の当たりにした試合だった。

©菅生翔平

 高校卒業後、私たちはそれぞれ大学に進学。寿樹は明治大学野球部に入部した。私も関東の大学に進み、野球実況アナウンサーを目指した。忘れもしない1年の秋、実況練習で神宮球場に通っていた。六大学リーグの大会パンフレットに阿部寿樹の名前はなかったが、明治大学の面々の中に見慣れた選手がいた。遠目でもわかった。寿樹だ。リーグ戦の途中からベンチ入りしていた。「根暗っぽいことやってるな」。本人に会った際、実況練習をするために球場に通っていることを伝えた時の反応だ。それでも、高校の同級生のプレイを実況するのが、私の大学時代の大きな楽しみの一つだった。

 大学卒業後、寿樹は社会人野球のHondaに。私は東北放送に入社しアナウンサーになった。念願のプロ野球実況では、同学年のスター選手たち、中田翔選手や菅野智之投手も実況した。刺激に溢れる毎日だった。そして、迎えた2015年のドラフト。寿樹も指名候補に入っていた。少しばかりの期待を抱き、スポーツ新聞を片手に会社で見守っていた。注目選手の指名が終わり一段落していると、阿部寿樹の名前が呼ばれた。指名球団は中日ドラゴンズ。自分にとって、新たな目標が生まれた瞬間だった。

「私の夢は阿部寿樹選手の実況をすること」。後援会発足の際、こう挨拶した。私が担当するのは東北楽天の主催試合のみ。交流戦でその機会を待った。同級生のLINEグループが動き出したのはプロ1年目の8月14日、プロ初安打の時。試合後に「今後も頑張りまーす」と短めの返信。9月には初ホームランも放った。最初のチャンスは2018年。中日との交流戦、ラジオ実況担当になった。しかし、彼が戦うのはプロという厳しい世界。その1週間前、寿樹が登録抹消され実現はしなかった。