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ブルペンで投げている隣にはいつも健二朗がいた

 2023年9月29日。5-3でDeNAが勝利し2年連続のクライマックスシリーズ進出を決めた四日後、田中健二朗の来季構想外が発表された。

「そうか……ついにきたか」。

 私は電車の中で人に聞こえない声でそう呟いた。

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田中健二朗 ©時事通信社

 健二朗(ここからはいつも通り健二朗と呼ばせていただく)と初めて会ったのは2011年1月の合同自主トレの時だった。初めて会った時の率直な感想は「目つきわるっ!」だ。3歳年下なのに話しかけてくるなオーラがプンプンしていた。当時3歳年下には健二朗の他にも大田阿斗里や佐藤祥万がいたが、1年目に健二朗と話した記憶はほとんどない。

 ただ覚えているのは黙々と練習する健二朗の姿だ。

 一人ランニングする姿や投げ込む姿はよく見かけていた。当時の二軍投手コーチの岡本さんや木塚さんとひたすら練習していたのを覚えている。

 実を言うと2015年に私が中継ぎに転向するまではごくたまにご飯に誘うくらいの仲だった。ただ中継ぎに転句してからは唯一無二のライバルに変わり気の許せる後輩にもなった。

「健二朗には負けたくない」

 2016年のシーズンを迎えるにあたって私が密かに目標にしていたことだ。試合数、防御率、いろいろな成績を意識した結果、面白いことに私が62試合5勝3敗23H防御率2.68。健二朗が61試合5勝3敗23H防御率2.45とほぼ同じ結果になった。

 プロ野球選手である以上、結果が伴わなければ何を言っても価値はない。シーズン中はみんながライバルであり自分が一軍で試合に出られるよう結果を出し続ける必要がある。

 プロの選手はみんな我が強いのだろう。負けず嫌いだ。

 しかしそんな中でもベイスターズの投手陣は、まとまるときにはまとまる。その時皆いいピッチングをする。エースが早い回で降板してしまった際には負けを消すために粘り強く投げる。若手のプロ初勝利がかかった試合でのブルペンの雰囲気はファンの想像以上に皆が集中している。

 それを一番体現していたのが健二朗だと私は思う。

 2016年の10月15日CSファイナル第四戦、カープに負けてシーズンが終わった試合後のマツダスタジアムの通路、どちらからというわけでなく二人で写真を撮った。取材をのぞいて健二朗と二人だけで写真を撮ったのは、後にも先にもこの一枚だけだと思う。そしていつも私を全く褒めない健二朗が言った。

「今日くらいは1年間頑張った自分たちを褒めてやろうぜ」

 その労いの言葉に私の1年間の頑張りは報われ泣きそうになったのを今でも覚えている。

 今彼は34歳だが、まだまだ体は動くと思う。貴重な左腕、実績も経験も十分な健二朗にもう一花咲かせてもらいたい。

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