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栗田艦隊の信じられない幸運

 レーダーや夜間偵察機、そしてフィリピン人の沿岸監視員に追尾されていると考えていた栗田と部下の士官たちは、自分たちの幸運をほとんど信じられなかった。彼らをわずらわす敵潜水艦もいなかった。彼らは自分たちが海峡を出るのを阻止しようとするアメリカ戦艦の集中砲火に出会うと予想していた――300海里南方で西村艦隊を打ちのめしたばかりのT字戦法伏撃と同じ種類の。大谷藤之助作戦参謀はのちに、そうしたシナリオは中央部隊に「困難」をあたえていただろうし、その予想は大和艦橋で「深刻な懸念」を引き起こしたと語った。しかし、彼らは無事海峡を通り抜けて到着し、彼らの行く手に立ちふさがるものはなにもなかった。

 部隊は2時間、海上をまっすぐに東進した。単縦陣は夜間索敵陣形に組み直され、幅20海里近い海面を6つの縦隊がおおった。日本軍にはハルゼーの所在にかんする情報はまったくなかった。彼らは前日の午後、アメリカ軍空母艦載機が飛んでいった方向を手がかりに、どこでハルゼーを発見できるかを推測していたにすぎなかった。午前3時、大和が針路を南東のレイテ湾の方向に変える命令を発光信号で送った。それから3時間、艦隊は、サマール島の遠い山々を右舷に見ながら、南へ突進した。

(写真=『太平洋の試練 レイテから終戦まで』より)

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 午前5時半、大和は、山城と扶桑が沈没し、最上が炎上、残る全日本軍部隊はスリガオ海峡から避退中という志摩提督の報告を受信した。この暗い知らせは大きな驚きではなかったはずだが、想定された挟み撃ち攻撃が実現しないことが確実になった。中央部隊がレイテ湾にたどりつくことに成功したとしても、単独で戦うことになる。午前6時14分、熱帯特有のあざやかな日の出とともに、新たな一日がはじまった。北東の風はおだやかで、海は静かだったが、切れ切れの積雲の灰色の底が上空をただよい、暗い雨スコールが海面低く通りすぎた。