第3艦隊の幕僚がまじまじと見ている前で4つ星の将官がメルトダウンするのではないかと恐れたミック・カーニーは、すばやく動いてハルゼーに相対した。

「やめてください! いったいどうしたんですか? しっかりしてください!」

 ハルゼーは艦橋から飛びだすと、居室に降りていき、カーニーがそれを追いかけた。ふたりはそこで1時間近く、閉ざされた扉の向こうに引きこもっていた。そのあいだも第3艦隊は高速で北へ、小沢の打ちのめされた艦隊のほうへ進みつづけ、サマール沖の死闘から遠ざかっていった。

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(写真=『太平洋の試練 レイテから終戦まで』より)

「正尾追撃は長い追撃」とは、船乗りの古い金言だった――そしてその朝のサマール沖の航走戦では、その原則が生きていた。栗田の中央部隊の戦艦と巡洋艦は〈タフィー3〉の護衛空母より約10ノット速かったが、スプレイグは麾下の各艦をたくみに動かして、追撃側をつねに後方に置くように針路を変え、煙幕と雨天をうまく利用した。6隻の豆空母を暴風雨のなかに20分隠れさせ、そうやって隠れているあいだに南へ、つぎに南西へ変針した。日本軍はスプレイグが恐れたように彼の旋回の円弧を横切ることなく、彼の後方で変針をつづけ、より長い距離を航走した。

 栗田のゆるい梯陣は〈タフィー3〉自体の艦載機と、南方の隣接する各タフィー隊の艦載機によって、たえず空から攻撃された。いちばん忘れてならないのは、〈タフィー3〉直衛隊の小さな“ブリキ艦たち”――ひと握りの駆逐艦と護衛駆逐艦――が激しく必死の後衛戦を展開し、日本艦隊に魚雷を回避させて、空母のために貴重な時間稼ぎをしたことだ。

栗田の決断

〈栗田艦隊は駆逐艦ホーエル、ジョンストン、空母ガンビア・ベイなどを撃破するが、追撃戦は膠着状態に陥った〉

 そのころには、栗田艦隊の隊形はほぼ完全にばらばらになっていた。視界は依然として悪く、低くかかる雲や雨スコール、戦術的煙幕でさえぎられていた。日本軍の各艦はおたがいの姿を見失い、指揮官たちは故障や重要な要員の損失のせいで、無線連絡を維持するのに苦戦していた。さまざまな速力で航行し、べつべつの敵艦を追撃するためべつべつの針路に分散し、魚雷をかわし、航空攻撃を撃退するうちに、日本艦隊はそのまとまりと目的の一貫性を失いつつあった。