お笑いコンビ「ドロンズ」として一世を風靡した大島直也さん。ヒッチハイクの旅を終え、帰国後は一躍売れっ子となった彼だが、31歳で突如コンビを解散し、役者への道を進む決断を下した。

 しかし、彼を待ち受けていたのは想像以上に苦しい怒涛の日々だった。

大島直也さん ©文藝春秋 撮影・今井知佑

 2003年3月、レギュラー番組を抱えながらも大島さんは「このままバラエティをやっていたら、役者ができないんじゃないか」と悩んだ末にコンビを解散。しかし役者としての再出発はまったく順調ではなかった。

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 ドロンズとしての芸歴や人気は役者の世界では重視されず、仕事は激減。生活のために業界系のバーでのバーテンダーや、左官、内装工事といった肉体労働で食いつなぐ日々が続いた。

 追い打ちをかけるように父親が脳腫瘍で倒れ、実家に戻るなど、公私ともに厳しい状況に立たされていた。

 そんな苦労の絶えなかった時期に彼を支えたのが、後に結婚することになる女性だった。「三菱財閥の創業者の妹の系統で、日銀初代総裁の玄孫」というやんごとなき家柄の出身でありながらタレント活動もしていた女性と出会い、交際をスタート。

 その後、女性とも協力して2006年に恵比寿で「ちりとり鍋 大島」をオープン。店は瞬く間に大繁盛し、2008年に2人はめでたく結婚した。仕事も家庭も順風満帆に見えたが、子供の誕生を機に生活は一変する。夜遅くまで働くなかで家庭にすれ違いが生じ、会話は激減していった。

結婚式での幸せそうな2人

「子供の前で悪い状態を見せるのは…」

 不満が募るなか、女性から発せられたのは「子供の前で悪い状態を見せるのは良くない。今のうちに友達のような状態で別れた方がいい」という別れの提案だった。

 大島はこの言葉に説得され、2014年に離婚を決意。2人で育て上げた店も、権利のトラブルを避けるために他人に譲ることとなった。しかし現在も、子供の送り迎えで顔を合わせるなど関係性は続いているという。

 インタビュー全文では、ヒッチハイクで1年2カ月間音信不通だった時期の恋愛エピソードや、芸人をやめて試行錯誤が続いていた時期についてもじっくり話を聞いた。

次の記事に続く 「帰ってきたら死んでるかもしれないから」肺がんで倒れた母親の介護を1人で引き受けた大島直也(55)がキレてしまった“弱気な一言”