(まつながみほ ドイツ文学者、翻訳家。1958(昭和33)年、愛知県生まれ。ドイツ文学者、翻訳家。早稲田大学文学学術院教授。著書に『誤解でございます』『世界中の翻訳者に愛される場所』。訳書にヴェテラニー『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』、エンデ『モモ 絵本版』などがある。)
私は1958年、名古屋市の港区で生まれました。港の近くで、夜になるとボーッと霧笛の音が聞こえてきて、外国の船員さんも歩いていて、工場もあるようなところです。生家は小学校の隣にある、平屋の一戸建てでした。同じ敷地に、祖母とおじの家もありました。伊勢湾台風のときは家の天井まで水に浸かったそうですが、私は0歳だったのでおぼえていません。
ベルンハルト・シュリンクの世界的ベストセラー『朗読者』など、ドイツ語圏文学の翻訳家として知られる松永美穂さんは、大学の助手を務めながら高校で国語を教える父と、専業主婦の母の長女として生まれた。
2間しかない家に、私と3歳違いの弟と両親の4人で暮らしていました。玄関を入るとちゃぶ台を置いた6畳の和室があって、ふすまを開けるともう一つ6畳の和室、その奥に台所と物置とトイレがあって。お風呂は外の小屋にあったんですよ。薪を焚いて沸かすお風呂でした。ガラス戸のある廊下で、よく遊んでいた記憶があります。父は日本文学を研究していました。家が狭いのによく本を買ってきたそうです。
6歳のとき、敷地内に新築した2階建ての家に移りました。私の部屋は2階の和室。隣の洋室は弟の部屋で、作り付けの本棚があり、父の蔵書が並んでいました。
1階の和室にはピアノ、洋室にはテレビとこたつとソファーが置かれていました。廊下には子ども用の本棚がありました。南向きで日当たりがよかったので、いつもごろごろしながら、母が買ってくれた『こどものとも』や『あんみつ姫』、アンデルセンの童話などを読んでいました。
東京大学なら行ってもいいと言われて受験。1年宅浪し、自分で時間割を作って勉強した
名古屋市立大手小学校に入学すると、ますます読書量は増えた。
最初の2カ月99円 または 初年度9,999円
でこの続きが読めます。
有料会員になると、
全ての記事が読み放題
キャンペーン終了まで
既に有料会員の方はログインして続きを読む
※オンライン書店「Fujisan.co.jp」限定で「電子版+雑誌プラン」がございます。ご希望の方はこちらからお申し込みください。
source : 週刊文春 2025年1月2日・9日号