(はらだくにちか 漫画家。1951年、福岡県生まれ。26歳の時に『ビッグ・ウェーブ』でデビュー。80年、漫画原作者の梶原一騎に指名されて『プロレススーパースター列伝』が連載開始。その他、作品多数。2024年、執筆人生を振り返る『「プロレススーパースター列伝」秘録』(文藝春秋)を刊行。)

 

 プロレス黄金時代の1980年代前半に「週刊少年サンデー」で連載されていた、梶原一騎原作の『プロレススーパースター列伝』。原田久仁信さんは、同作の作画を務めた漫画界のレジェンドの一人だ。当時の思い出を軸に語られた著書『「プロレススーパースター列伝」秘録』は、漫画家の回顧録としては異例のヒットを記録している。
 1951年11月3日生まれ、福岡県福岡市出身。

 大濠公園の近くの(中央区)六本松に、産婦人科医だった父方の祖父の病院がありました。父親は僕が幼い頃に結核で死んでしまい、母親も同じ病気で長らく入院していたので、主に祖父母に育ててもらったんです。瓦屋根の2階建てで、玄関を入ってすぐのところに診察室。その奥に出産用の分娩室があって、さらに奥の部屋に僕らが住む部屋がありました。2階には、お産を待つ妊婦さんたちの病室が。自分と2歳下の妹も、ここで生まれています。

 当時、熊本に住んでいた芝居好きの母方の祖母が、僕をしょっちゅう芝居小屋に連れて行ってくれました。帰ってくると、僕はその舞台の絵を描いていたらしいです。絵の内容を身振り手振りで説明するから、そんなに芝居が好きなんだ、将来は役者になるんじゃないかと思われていたみたいですが、違うんですよ。絵が好きで、絵が描きたかったんです。

 漫画を初めて読んだのは、確か小学校1年生の時でした。床屋で『ロボット三等兵』(前谷惟光)だか『フクちゃん』(横山隆一)だかを読んで、髪を切る用事がない時も床屋に入り浸りまして。不遜な子供ですが、これくらいなら自分で描けるな……と思ったのが、漫画家になりたいと思ったきっかけでした。

 母の病態は悪化。祖父母の年齢の問題もあり、兄妹はこの家を出ることを余儀なくされる。

プロレスラーや格闘家の体を描けるのは叔父の手ほどきで習った空手、柔道のおかげ

 僕ら兄妹をどこかの家で引き取ってもらおうという話になり、病床の母が出した条件は「2人一緒に引き取ってくれるところなら」と。母は、カトリック教徒でした。そのつてで、福岡の米軍基地(当時)に住んでいるアメリカ人一家に預けるのはどうかとなったんです。僕が小学1年生の時、クリスマス前後の1週間だけお試しで、白人ファミリーの家でホームステイをしました。部屋はセントラルヒーティングで暖かいし、大きなクリスマスツリーがあってお菓子もいっぱいで、夢のような世界でしたよ。妹は単に遊びに来ているつもりだから「帰りたくない」と言っていました。ただ、僕はここに来た意味を知っていたので、ずっとドキドキしていました。

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source : 週刊文春 2025年3月6日号