「緊張するのは開幕戦、特別なその試合だけでしたね」そう告げた長嶋茂雄にも、実は眠れない夜がしばしばあった。太陽のような男が裏方に見せていた本当の姿。スーパースター、そして稀代のエンターテイナーだった男の実像。

 どん底の読売巨人軍に、長嶋茂雄さんが車いすで現れたのは2005年のことである。前年に脳梗塞で倒れ、リハビリ中であった。

 チーム派遣の秘書役や職員の世話を受け、闘病中の終身名誉監督の周りはピーンと緊張の糸が張り巡らされていた。

 巨人軍代表に就いて2年目の私は恥ずかしい思いだった。

 1つ勝てば2つ、3つ負ける、巨人はそんな日が続いていた。渡邉恒雄オーナー時代の遺物である大艦巨砲打線の破綻と、未熟な私の補強のせいである。そこから育成選手制度と選手育成への傾倒が始まるのだが、

「あきまへーん。どの投手がきても打てまへん。昨日と同じや」

 そんなぼやきが、隣に座る査定室長たちから毎日のように漏れていた。私たちの仕事場は、ホームベースから18メートル後方の半地下の視察室であった。薄暗い水族館に似て、「金魚鉢」と呼ばれていた。長嶋さんはナベツネ氏や偉い人が占めるVIP席ではなく、金魚鉢で視るのを好んだが、そばにいた私は彼の興奮の爆発に度肝を抜かれた。

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source : 週刊文春 2025年6月19日号