上杉景勝に謀反の疑いあり。その後の関ヶ原の戦いに繋がった「会津征伐」とは何だったか?

 

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「会津征伐」とは何か。一言でいえば、慶長5(1600)年6月、五大老のひとり、上杉(うえすぎ)景勝(かげかつ)に謀反の疑いありとして、家康が「豊臣政権軍」を率いて、会津に出兵した事件です。この会津征伐が、7月の石田三成の決起を経て、そのまま9月の関ヶ原の戦いへとつながっていくのです。

 まずは、当事者の一人、上杉景勝とは、豊臣政権でどのような存在だったのかを見ておきましょう。

 景勝は、弘治元(1555)年、上田長尾氏(越後上田は、今の新潟県南魚沼市)の二男として生まれました。母が上杉謙信(けんしん)の異母姉にあたる景勝は、実子のいない謙信の養子となります。

 ところが天正6(1578)年、後継者を定めずに謙信が死ぬと、上杉家中は内乱状態となりました。「戦えば無敵」を誇った上杉軍ですが、もともと在地の国人領主たちの力が強く、国内の統治は容易ではなかったのです。

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source : 週刊文春 2025年11月13日号