反徳川で立ち上がった西軍に参加したメンバーの士気の低さが三成にとって最大の誤算だった。

 

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 前回は、「会津征伐軍」が西へ転進、関ヶ原に臨む「東軍」となるまでをみていきました。

 では、一方、石田三成、(もう)()輝元(てるもと)らのクーデターによって立ち上げられた反徳川軍、いわゆる「西軍」の内情はどのようなものだったのでしょうか。

 一口に「西軍」といっても、その士気、モチベーションには、実はかなりの温度差がありました。

 まず石田三成、大谷(おおたに)吉継(よしつぐ)をはじめ、家康排除のために積極的に戦った「本気の西軍」がいます。ところが、実はこの「本気の西軍」はそれほど多くはありませんでした。「どちらにつくのか、旗幟をなるべく鮮明にしたくない」という「消極的な西軍」が少なからず存在したのです。

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source : 週刊文春 2025年12月18日号