(なかのとおる/1957年、大阪府生まれ。大阪大学医学部卒業。2004年から大阪大学大学院医学系研究科病理学教授。22年退職。12年日本医師会医学賞受賞。著書に『エピジェネティクス』『仲野教授のこの座右の銘が効きまっせ!』『医学問答』(若林理砂氏との共著)ほか多数。)

 

 私が生まれたのは1957年、ちょうど近所に「主婦の店ダイエー」の1号店が誕生した年です。当時の千林商店街いうたら、日本一物価が安いと言われるほど活気に溢れ、大晦日ともなれば人が多すぎて道が渡れんくらいになる。そんな商店街のアーケードを一歩入ると、空襲を免れた、ええ感じにごちゃごちゃした路地が広がっていました。

「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」を専門とし、『こわいもの知らずの病理学講義』などの著書で知られる生命科学者の仲野徹さんは、大阪市旭区千林に生まれた。大阪でも有数の活気ある下町。昭和の濃密な空気が漂っていた。

 そんな商店街のすぐ裏手に、私の生家はありました。もともとは大地主やったそうで、敷地は70坪ほど。建物は大正15年頃に建てられた古い農家屋敷でした。玄関を入ると土間があり、炊事場も土間。扉とかいう気の利いたもんはなくて、襖を開け放てば座敷から寝間まで家中が巨大な一間になる、プライバシーもへったくれもない、そんな風通しのよすぎる家でした。

 この家で、私は祖父母と母、2歳違いの姉と暮らしていました。銀行員だった父親は私が赤ん坊の時に亡くなっていますし、祖父母も母も働いていなかった。収入は貸している土地の地代のみ。だからか、家長である祖父は、筋金入りの「シブチン(ケチ)」。生涯一度も働かず一銭も稼いだことはないが、その代わり一銭も無駄遣いをしたことのないのが自慢の人でした。家の規模の割に、物は驚くほど少なくて、家具も質素。祖父の日常は、新聞を読み、盆栽をいじり、ご飯を食べて寝る。これぞ本物の「不労所得者」ですわ。

内科医から研究の道へ。本庶佑先生に「トップのサイエンスを目指せ」と追い込まれる日々

 家の中で印象深いのは、「落ち間」という空間です。土間よりは高いが居間や座敷より1尺ほど低い。昔は使用人がそこまでしか上がれなかったという、階級社会の名残です。子供の頃、年配の方でそこまでしか上がらず、私を「ボンさん」と呼んでくれてた人がいました。昭和の高度成長期に、まるで明治大正の空気が澱んでいるような家でした。

 家の中も設備も凄まじく古かった。台所は井戸もあるようなじめっとした場所で、洗濯板も現役。うちはなんと昭和40年代の半ばまで五右衛門風呂でしたから。炊事場の土間から木をくべて沸かすんですが、薪は近所の魚屋や果物屋からもらってきたトロ箱やリンゴ箱とかをバラして。子供心には面白い作業でした。

初回登録は初月300円で
この続きが読めます。

有料会員になると、
全ての記事が読み放題

  • 月額プラン

    1カ月更新

    2,200円/月

    初回登録は初月300円

  • 年額プラン

    22,000円一括払い・1年更新

    1,833円/月

  • 3年プラン

    59,400円一括払い、3年更新

    1,650円/月

有料会員になると…

スクープを毎日配信!

  • スクープ記事をいち早く読める
  • 電子版オリジナル記事が読める
  • 解説番組が視聴できる
  • 会員限定ニュースレターが読める
有料会員についてもっと詳しく見る

※オンライン書店「Fujisan.co.jp」限定で「電子版+雑誌プラン」がございます。ご希望の方はこちらからお申し込みください。

  • 0

  • 0

  • 2

source : 週刊文春 2026年1月29日号