(こばやしけんいちろう/1940年、福島県いわき市生まれ。東京藝術大学作曲科、指揮科卒業。74年、第1回ブダペスト国際指揮者コンクール第1位、及び特別賞を受賞。ハンガリー国大十字功労勲章、旭日中綬章受章。現在、日本フィル桂冠名誉指揮者。)

2007年から昨年までのうち16回にわたって、大晦日にベートーヴェンの全交響曲9曲を1日で指揮することに挑戦してきました。どこからそんな気力が湧いてくるのかとよく訊かれますが、それは僕の人生がベートーヴェンを抜きにして考えられないからなのです。彼の第九交響曲を9歳の時に聴かなかったら、僕は音楽家になろうと思わなかったでしょう。
「炎のマエストロ」と呼ばれる世界的指揮者・小林研一郎さんは1940年、高校の体育教師の父と小学校教師の母の長男として、福島県小名浜町(現いわき市)で生まれた。6歳年下の妹は、声楽家・一ノ関佑子氏である。
小林家の近くには軍需工場があったため、幼児期にはB29が上空を飛び交い、防空壕で震える経験もした。
家は小名浜の海から500メートルほどでした。B29が飛んでこない日には、海水浴に行ったり、家の隣が格式ある広い神社だったので、父とバドミントンをしたり、境内の湿地でヤゴを探したり。ヤゴは呼吸するための小さな穴を土に空けていて、そこから掘って捕まえます。家に持ち帰って緑色の蚊帳の内側にくっつけて、羽化させました。
4歳の時、母が勤める小学校で、父がピアノで「月の沙漠」を弾いてくれました。父の意外な側面でしたが、それ以上に、演奏がアルペジオに転調した時、あの胸のときめきは今でも、忘れられない出来事でした。それが僕の音楽の原点です。
父は短距離走で県の代表選手だったそうで、親戚やきょうだいを養うために体育教師になったのだそうです。僕も父の血を受け継いでいました。皆さん、想像つかないようなのですが、小学生の僕は体格もよく、相撲は50人抜き。中学では県大会で三段跳びの記録を作り、100メートル走はスパイクなしで11秒台。走ることにはとてつもない力を発揮していたのですね。
小学校では番長で「おい、次の授業は外に出て遊ぶぞ!」と皆を引き連れて。今考えると酷いですね。
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source : 週刊文春 2026年3月12日号






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