男女7人が殺害された北九州監禁連続殺人事件の発覚から25年目となる今年、現場の指揮官として、捜査の全容を知る特捜班長が、初めてその重い口を開いた――。
北九州監禁連続殺人事件とは
1995年から2002年にかけて、福岡県北九州市のマンション内で発生した監禁・連続殺人事件。犯人の松永太(逮捕当時40歳)が内縁の妻・緒方純子(同40歳)と共に知人や緒方の親族などの同居相手に対して脅迫・虐待などを相次いで行い、最終的には自分の手を汚さず、マインドコントロールにより互いに互いを殺害させるように仕向けた。一連の犯行は7年に及び、犠牲者は7人にのぼった。02年に監禁されていた広田清美さん(仮名、当時17歳)が虐待から逃れ、祖父母に助けを求めて脱出したことで初めて事件が発覚し、11年に松永の死刑が確定。共犯の緒方も無期懲役が確定した。
昨年(2025年)11月19日、水曜日の昼のことだ。福岡県福岡市にあるシティホテル内の中華料理店を借り切って、ある会合が開かれた。
部下の結婚式会場から駆け付け、遅れて参加する者などもいたが、最終的には40代から70代までの、中高年の男女20名から成るこの集団。巷で見かける会社員の集まりとは雰囲気が異なっていた。
いまでも現役で現場に出ている4、50代はダークスーツ姿で、皆がいかつい印象である。すでに現役から引退したであろう、それよりも上の世代の者たちは、服装こそカジュアルだが、かつては精悍だったことが窺える見た目だ。
それも無理はない。集まっていたのは、福岡県警のOBや現役の警察官たちなのである。
司会を務めた60代後半のまとめ役の男性が、全員に言いたいことも多いのではないかと振ったうえで、近況と、当時の心境について話してほしいと、マイクを回す。
「気づいたら、捜査期間があんなに長くなっていて……」
「それに要求される作業が、滅茶苦茶やったもん……」
「狭い室内のなかでずっと続けて、気が狂いそうでしたから……」
屈強な男女から、尋常ではない「あの事件の捜査」についての思い出話が飛び交う。その大半が、これまでになかった苦労をしたという内容だ。一部の幹部を除き、現場の捜査員は、自分の担当したこと以外に、どんな仕事があったのかは詳細を知らない。そのため驚きの声が上がり、それは苦労したはずだと笑いが起こる。
正午に始まった宴は、思い出話が尽きず、予定を過ぎた午後3時半頃まで続いた。
この会に掲げられた名は「北九州事件慰労会」。
以下、「北九州監禁連続殺人事件」との呼称を使用するが、同事件の捜査に携わった捜査員たちによる、03年の捜査終結から22年後に開かれた、2度目の慰労会である。
02年3月7日の犯人逮捕によって公になった「北九州監禁連続殺人事件」は、2人の中年男女に監禁されていた、17歳の少女が逃走したことで発覚した。この少女に対する監禁・傷害の他に、別の女性への監禁致傷や詐欺・強盗、そして7件の殺人(うち1件は傷害致死の判決)が事件化されており、03年6月、最後の案件の殺人罪での起訴をもって、主要な捜査はすべて終結した。
同事件は主犯の男が、5歳の男児や10歳の女児を含む3世代の家族内での殺人を命じて、死体の解体を行わせるなど、その残酷な犯行内容とともに、解体された遺体の痕跡が残らないように遺棄された、「死体無き殺人事件」として広く知られる。
通常、特捜(特別捜査本部)事件の後の慰労会は、捜査が終結して間もなく、捜査本部が置かれた警察署の道場や会議室で行われる。だが、この「北九州事件慰労会」は、捜査終結から20年以上を経てから、外部の会場を借りて再び開催されたもので、異例の出来事だった。
それだけでも、捜査員がどのような思いで捜査に関わってきたかが伝わってくる。同会の参加者は語る。
「当時の管理官も亡くなっているし、捜査員のなかでも亡くなる者が出始めました。その他にも、認知症で入院したりとか……。それで、元気な者がおるうちに、やろうということになったんです」
「肉が腐ったような臭いが…」
この事件の捜査に特捜として入った福岡県警本部の捜査一課と小倉北署員計36名のうち、参加できたのは20名。参加できなかったのは、物故者が3名、病気や介護、被介護、入院中だったのが10名、勤務の都合が3名だった。
捜査終結に至るまでに、多大なる苦労を伴う捜査だったことは想像に難くない。なにしろ、殺人事件のなかでも立証が難しいとされる、「死体無き殺人事件」で、しかも、被害者が7名もいるのである。
通常、死体があってこそ、死因や死亡時期の特定(推定)が可能となる。しかし、その手がかりが無いなかで、この時期にかかる状況で死亡したこと以外には考えられないということを、証明しなければならないのだ。さらにいえば、「殺人」容疑を成立させるためには、加害者の関与と殺意についての立証も必要となる。
私自身のことをいえば、この事件の取材で、北九州市の現場に入ったのは、男女2人が逮捕されて2日後の3月9日である。男女は名前を明かしておらず、氏名不詳とのことだった。その段階では、「男女が少女を監禁して暴行を加えた事件」でしかなく、7名死亡ということは想像もしていない。それに、そうした情報はまったく出ていなかった。
ただ、後から考えると、「そういうことだったか」と合点のいく話は、取材を始めて間もない時期から耳にしている。
現場となった小倉北区にある「片野マンション30×号室」(仮名)では、建物の1階にスナックが入っており、同店の出入口以外の周囲には立ち入り禁止の規制線が張られるなかで、営業を続けていた。この店のママが、件の部屋の真下である、20×号室に住んでいたのである。取材で店を訪ねた私にママは話す。
「たしか5、6年前やったんやけど、深夜に1週間くらい、ギーコ、ギーコっち感じでノコギリみたいなのを挽く音が響きよったんよね。それで、なんの音かねえっち言いよったら、しばらくしてから、3階より上の階で肉が腐ったような臭いがするようになったの。もう、鼻が曲がるような臭い。その臭いが2、3年くらい続いたかねえ。とくに夏場になるとひどくなったんよね」
話を聞いたときは、いったいなにがあったのか、事件と結びつけて考えられなかったが、後になって、件の部屋で被害者たちの遺体が解体されていたことを知る。その際にノコギリで骨を切断し、鍋で肉を煮てミキサーにかけていたことが明らかになり、ママの話と関連付けることができたのだった。
逮捕前後の経過を辿っておくと、まず3月6日の早朝、17歳の少女・広田清美さん(仮名)が、男女の元から逃走。その後、迎えに来た祖父に伴われて門司警察署に出向き、被害を届け出る。続いて、管轄となる小倉北署に移動し、被害申告を行ったことにより、小倉北署の捜査員約20名が情報収集に動く。
3月7日、清美さんの証言に信憑性があり、立件が可能であると判断した小倉北署は、門司区にある祖父母宅に現れた氏名不詳の男女を、午後9時8分に、清美さんへの監禁・傷害容疑で逮捕した。
さらに同日、清美さんの証言に基づいて、小倉北区にある「泉台マンション10×号室」(仮名)を家宅捜索したところ、そこにいた6歳の双子の男児と、5歳と9歳の男児が保護された。なお、後に6歳の双子の男児は、当時山口県内の飲食店で働いていた田岡真由美さん(仮名、37)が、養育費を渡して男女に預けた息子たちであることが判明。5歳と9歳の男児は、逮捕された男女の息子であることが確認された。
3月8日、男女の逮捕を受けて、小倉北署は関係先の小倉北区にある「片野マンション30×号室」、「東篠崎マンション90×号室」(仮名)、「泉台マンション10×号室」、さらに清美さんの祖父母宅の計4カ所を家宅捜索した。

そして3月11日、小倉北署に「北九州市小倉北区内における少女特異監禁等事件」捜査本部が設置され、13日には、男女の名前が松永太(40)と緒方純子(40)だと判明する。2人は福岡県柳川市と久留米市に地縁があり、内縁関係とのことだった。
この頃になって、ようやく取材する私にも、「少女は父親が殺害されていると話しているらしい」との情報が届くようになった。やがてそれは、「じつは殺害された被害者はもっといるようだ」に変わっていく。
だが、だからといってすぐに松永と緒方に対して、殺人容疑での再逮捕が実行されるわけではなかった。
ここで出てきたのが、原武裕子さん(仮名、41)という被害女性の存在である。
松永には詐欺師的な要素があり、これまで複数の女性に甘言を囁いては、その恋心を利用して現金を搾取してきた。裕子さんもその手口で夫と別れさせられた挙げ句、松永と緒方に監禁されて暴力を振るわれ、命からがら逃げだしたというのだ。
捜査本部は4月4日、松永と緒方を裕子さんに対する監禁致傷容疑で逮捕した。さらに5月16日には、同じく2人を裕子さんに対する詐欺・強盗容疑で逮捕している。
もちろん、こうしている間も捜査本部が、「本件」である殺人容疑での証拠集めに動いていることは承知していた。
この時期になると、取材する記者の間でも、死亡しているのは少女の父親である広田由紀夫さん(仮名、以下同)と、緒方の両親である緒方孝さんと緒方和美さん、緒方の妹である緒方智恵子さんとその夫の緒方隆也さん、2人の娘である緒方花奈ちゃんと、息子である緒方佑介くんの計7名であるということで、間違いないとなっている。
とはいえ、この7名を被害者とした立件があるのか否か、それは全員なのか一部なのかがわからない。それに、もし立件するとして、「殺人」でいくのか「傷害致死」なのか、さらにいえば、その順番はどうなるのかといったことが、不明なままだ。
私は複数メディアの福岡県警担当記者を情報源としていたが、彼らも常に捜査の進捗状況には気を配っていた。だがやはり捜査本部の「保秘」は徹底されていたようで、捜査の先行きを見通すような話は、なかなか出てこない。
そんななかで、流れが大きく動いたのは9月18日のことだ。捜査本部が松永と緒方を、緒方花奈ちゃん(死亡時10、以下同)への殺人容疑で逮捕したのである。
これを機に捜査本部の名称は、「小倉北区のマンション内における監禁・殺人等事件捜査本部」に変更された。
以降、緒方孝さん(61)、緒方和美さん(58)、緒方佑介くん(5)、広田由紀夫さん(34)、緒方智恵子さん(33)、緒方隆也さん(38)という被害者の順で、松永と緒方の殺人容疑での逮捕が続いていく。
結果として捜査本部は、死亡した7名全員に対して、すべて殺人事件で立件したのだった。
*
先に記した通り、この事件発覚の初期から取材をしていた私は、捜査終結後も、犯人の松永太と福岡拘置所で面会を重ね、手紙のやり取りをするなどの取材を続けた。
それらに加え、現在は故人となったが、監禁されていた少女の祖父母に話を聞いたり、被害者の親族などにも近況を尋ねて回った。また、松永や緒方の過去を知る人物たちにも当たっている。
3世代の家族が全員殺害されるという、凶悪な事件が周囲に及ぼす影響を伝えることに、義務感に近い意義を覚えていたのだ。結果として、そうした取材で得た情報をまとめた『完全ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)という書籍も上梓している。
そんな、私にとって因縁ともいえる事件が発覚してから25年目にあたる26年1月のこと。私はTさんという男性と向き合っていた。
目の前で穏やかな笑みを浮かべるTさんは現在78歳。きれいに整えられた髪と、机上の整頓された書類に、真っすぐな性格が窺える。彼はこの事件において、福岡県警捜査一課で特捜班長を務めていた。以下、TさんについてはT班長と記す。
殺人や強盗など強行犯に対応する捜査一課だが、福岡県警本部ではその捜査一課のなかに、七つの特捜班が置かれている。1班は通常7名で編成され、県内で発生した、特別捜査本部が設置されることになる凶悪事件(特捜事件)の現場に向かう。
小倉北署が氏名不詳の松永と緒方を逮捕したとき、T班長の班は「本部一待機」という、最初に出動する班だった。そこで指令を受けて小倉北署に向かった結果、この事件の捜査の担当になり、約1年半の長きにわたって関わることになる。
私はこれまで、同事件の捜査の経緯について、福岡県警担当記者を介するなどして、間接的な情報を得ることしかできなかった。当然、捜査する側も、メディアに捜査情報が漏れないようにする「保秘」を徹底しており、得られる情報も断片的なものばかり。面どころか、点と点が線になることも少なかったのである。
「これは長丁場ですね」
現場の指揮官として、捜査の全容を知る立場にあったT班長は、「言えないことも多い」としながらも、重い口を開いてくれた。その理由について、「難しいとされる『死体無き殺人事件』にどのように対処したのか、後進の者に伝えなければならないと思って」と語る。
もちろんそこには、事件解決のために奮闘する現場の捜査員たちの苦労と矜持を、少しでも知ってもらえればとの思いもあるようだ。
「みんなそれこそ寝食も忘れて、長期間にわたって家庭を顧みることなく、捜査に打ち込みましたからね。そんな部署があることも、伝えておきたいという気持ちもあります」
そう口にしたT班長は、24年前の出来事について、ついこの前のことであるかのように切り出した。
「(3月8日の)昼頃に、中村(俊夫)捜査一課長から呼ばれて、『小倉北(署)から少女監禁で、応援要請があっとんやけど、ちょっと行ってくれん』って言われたんです。まさかそれから1年半もかかりきりになるとは、想像もしとりませんよ……」
そのときT班は5名態勢だった(*後に宮崎県警からの研修生が加わり6名態勢になる)。少女監禁の事案ならば、少年課の特捜班が動くはずではと訝りながらも、「じゃあちょっと見に行こうか」と、班員を率いて小倉北署に向かったのだった。
「とりあえず行ったんですけど、とにかく署内がごった返している。それで2階にある刑事課に上がったら、奥の刑事課長の横の机で、誰かが座ってパソコンを打っているんですよ。まあ私も、長いこと刑事をやってますから、それが警察官じゃないことはわかりました。で、奥の部屋で管理官に話を聞くと、課長の横にいたのは、地検の検事とのことでした。なんでも保護された女の子が、自分の父親を含む7人が殺害されたことを、全部話しとるというんです」
検察官がこうして刑事課にいることも異例であるが、それにも増して、初期段階で少女がすべてを語っており、警察が犯行の全貌について把握していたという、予想外の事実に驚かされる。
「もちろん、最初は少女からそう聞かされた方も半信半疑ですよ。だけどそれで、彼女が言うてた場所にガサ(家宅捜索)をかけたら、実際に子供が保護されたりしとるでしょ。ああ、これは本当だってなったんです。そういうことを管理官と話しまして、『もうこれは一課長に言うて、うちが入りましょう』ってその場を離れたんです」
T班長と一緒に小倉北署に来た班員たちには、現場となった「片野マンション」などを、見に行ってもらっていたそうだ。
「まずはチャート図を作成しました。当時はまだ緒方が名乗ってないですからね。被害者は被疑者の女の家族として、夫婦、子供夫婦、その息子、娘という具合に作りました。それで、その日の午後8時ぐらいに中村一課長のところに行って、こういう状況ですから、明日から(小倉北署に)行きます、と説明したんです」

中村一課長は「ああ、わかった」との返答だったが、T班長には、そのときに現場を見てきた班員であるM係長が口にしていた、「これは長丁場ですね」との言葉が耳に残っている。実際、T班の5名は、この日から1年以上を休み無しで捜査に当たることになる。「働き方改革」が言われるようになる、はるか前のことである。
捜査本部が置かれることになる小倉北署の署長は、T班長のよく知る人物だった。
「署長はKさんという人で、僕が(県警本部の)刑事総務課の係長でおったときの管理官だったんですよ。で、9日に挨拶に行くと、『お前、大丈夫か?』と言うので、『いやいや、大丈夫とは言っても、こっちは5人しかおらんのですよ。まあ、よろしくお願いします。運だけはありますから』と言ったのを憶えてます」
T班長がそう口にしたのには理由があった。
「なんと言っても、すでに犯人は捕まっとるでしょう。そして共犯じゃないですか。今までの経験からしたら、どちらかが落ち(自供し)たら、相手も共倒れになりやすい。それに清美ちゃんがおる。彼女の証言があるし、事実関係証明書やら、電気を流したコードやらは、すでに押収されていましたからね」
松永は被害者の弱みをにぎる為に、被害者自身がなんらかの違法行為に関与したことを告白する、「事実関係証明書」という書類を書かせていた。
「殺しについては、うちがします」
この「事実関係証明書」については、後の松永と緒方の裁判でも登場しており、たとえば少女の父親である広田由紀夫さんの場合であれば、彼自身が不動産会社に勤務していた際に、消毒費用を着服したり、駐車場手数料を横領したことなどを、自筆で告白させている。そのうえで、〈どうか許して欲しい。以上のとおり記載した事実はすべて真実である。後日のためにこの書面を差し入れて証明する〉などと書かせ、末尾に作成の日付と本籍地、住民票上の住所地、現住所を記させ、署名、押印までさせていたのだった。
同様の書面はいくつもあり、それらはすでに、小倉北署による家宅捜索で押収されていたのである。
「最初の(松永と緒方を逮捕した広田清美さんに対する)監禁・傷害については小倉北署でやってほしいと。それで殺しについては、うち(特捜班)がしますからと話しました。あとは原武裕子さんの件もうちがすることになりました」
清美さんについては、彼女が保護された児童相談所で、小倉北署のY係長と女性警察官であるK巡査部長が話を聞いていた。

小倉北署では捜査本部事件が多く、戒名(捜査本部名が書かれた用紙)は署内に貼られていたが、実際に捜査本部が置かれたのは、小倉北署の横にある、自動車警ら隊などが入る建物の2階にある一角だった。
「小倉北署にはもう部屋がなかったんですよ。だから10人くらい入れば一杯になる部屋でした。ただまあ、(取)調べ官とかは、すぐ取調べに行っちゃうでしょう。巡査はそこに入ってこないから、私と事務担当のM係長くらいなんですよ。私はMちゃんと呼んでるんですが、彼に丸投げでしたね。毎日、捜査報告が上がってくるんですけど、全部彼が読んで、チェックをしていました。まずそうしないと、多すぎて読めないんですよ。それから各種書類の作成も全部M係長がやっていました。あと、彼の補佐に小倉北署のO巡査がついていて、2人で書類の管理をやっていたので、私が『××関係の資料が欲しい』と頼むと、棚からそのバインダーを出して、渡してくれるようになっていました」
県警本部の捜査一課から来た特捜班員以外に、特捜のなかには小倉北署員が31名いたが、全員が一度に捜査本部の部屋に入ることができないため、毎朝、署内の道場の一角に集まれる者を集めて、いまはどういう状況であるかを説明し、どのように捜査を進めてほしいかということを伝えていたという。
「上からは、情報が洩れるからと、必要最低限のことしか言わないようにと言われていましたけど、ただもう目の前のことだけをやらされていたら、この事件がどんなものかっちゅうのがわからないじゃないですか。自分のなかで咀嚼して動いてもらうために、そこは捜査員を信用して、ある程度の情報は与えるようにしていました」
このようにして、捜査本部は動き始めたのだが、「死体無き殺人事件」の捜査が一筋縄でいかない現実に、すぐに直面することになる。
(以下次号)
(おのいっこう/1966年、福岡県北九州市生まれ。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。「戦場から風俗まで」をテーマに、国際紛争、殺人事件、風俗嬢インタビューなどを中心とした取材を行う。著書に『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い―尼崎連続変死事件の真相』『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』など。)
source : 週刊文春 2026年4月9日号






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