ありえないことなんて、ないんだ。
2週にわたってHi-STANDARDを特集した『EIGHT-JAM』を見て、改めてそう思った。そもそも、ハイスタがメンバー揃ってテレビでインタビューに答えること自体、一昔前まではありえないことだった。事実、番組中でも横山健が、90年代は確かに「メディア嫌い」だったと明かしている。「誤解を受けたり、イメージが膨らんでいってしまうのが嫌だった」という。

前編では、ハイスタが真の意味での「インディーズ」を切り拓いていった“偉業”がメンバーの当時の心境とともに紹介された。いまでは資本の規模でメジャーとインディーズを区分することが一般的だが、彼らは、既存の会社、いわゆる“大人たち”からの出資を受けずに、自分たち自身で資金を出し合い、会社を興し、運営していった。それ自体は前例がなかったわけではない。だが彼らはアングラにとどまらず、メジャーとの壁を「ぶっ壊した」。さらに「フェス」という言葉自体が日本では浸透していなかった時代に、バンド主催フェスの先駆け「AIR JAM」を開催。最初は「イベンター」の存在すら知らなかった若者たちが、それを成し遂げたのだ。まさに、それまでありえなかったことを次々と実現したバンドだった。
しかし2000年、ハイスタは活動休止。後編では、主にそれ以降の葛藤が語られた。横山健と難波章浩は修復不可能な関係――。熱心に追いかけていたわけではないライトなファンの僕でも、2010年頃はそんな空気を感じていた。実際、険悪だったことが本人たちの口から生々しく語られた。活動休止の発端は、横山のメンタル不調だった。難波たちは彼の健康を最優先にし、即座に休止を決断。難波が沖縄へ移住する際には、横山が空港まで見送りに来るほど関係は良好だったという。しかし、皮肉なことに「休んだ」という事実が彼らの間に溝を生んだ。後悔をにじませながら「心のバランスを失っていた」と当時の言動や心境を赤裸々に振り返る難波の言葉に、胸が締め付けられた。
転機になったのは東日本大震災。難波から活動再開の打診を受け、日本に光が必要だと考えた横山は「今までのことはとりあえずいいよ、後で話そう。やろう!」と決断した。震災は多くのものを奪った。しかしその逆境が、ありえないと思われていたハイスタの復活を引き寄せたのだ。
その後の恒岡章の急逝、そして新メンバーZAXの加入まで、その時々の心境を率直に語った3人。もちろん、番組での発言が思わぬ“誤解”を生むこともあるかもしれない。けれど、この特集を見た僕がハイスタをより深く、強く愛さずにはいられなくなったのは、紛れもない事実だ。
『EIGHT-JAM』
テレビ朝日 日 23:15~
https://www.tv-asahi.co.jp/eightjam/
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source : 週刊文春 2026年5月7日・14日号






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