週刊文春 電子版

無料公開中

「令和鎖国」をいつまで続ける気か|三木谷浩史

三木谷浩史「未来」 第29回

三木谷 浩史
ニュース 社会 政治

 日本の厳しい入国制限などのコロナ対応は、まるで「令和鎖国」と呼びたくなるようなものだ――。今年に入ってオミクロン株の流行が拡大していく中で、僕はずっとそのような思いを抱き続けている。

 岸田政権下ではオミクロン株の水際対策で、外国人の新規入国を原則として禁止してきた。さらに、海外からの入国者には14日間の自主待機を求め、1月15日からは10日間に短縮されたものの、それでも結構な長さだ。その後、1都15県にまん延防止等重点措置が拡大されたが(1月24日時点)、東京都の小池百合子知事が「首都直下地震」という強い表現を用いて、この変異株の流行について語っていたのも印象的だった。

 だが、ちょっと待ってほしい。

 国民に対するそうした厳格な行動制限が、果たして本当に科学的で論理的な政策と言えるのか。オミクロン株の流行は「首都直下地震」に匹敵するほどの事態なのだろうか。

 僕は違うと思う。ヨーロッパなどのデータを見ても、昨年のデルタ株の流行と今年のオミクロン株の流行は明らかに別物だ。重症化リスクや死亡リスクは低く、人々のワクチン接種率は高い。医療体制のひっ迫状況も大きく異なる。その一方で、行動制限に踏み切れば、経済的に困窮する人たちは増え、社会に大きなダメージが蓄積されていく。

 新型コロナの流行がもたらす様々なリスクの「いま」を見極め、経済的なマイナスのインパクトもしっかり勘案して対策を打つ。それが政府や行政の役割というものだ。

代表選手の隔離はおかしい

 ところが、日本のポピュリズム的な政治家はその判断が下せない。

 危機を煽り、強い対策を講じたほうが支持率も上がるという現状に味を占めているのだろう。しかし、マスコミとともに危機を煽って国民の不安を膨らませ、国威を発揚するように支持率を上げるというやり方は太平洋戦争の頃と変わらない。後々、大きな代償を払う危険な考え方だ。

 実際、オミクロン株が見つかって以降、なし崩し的に続けられてきた行動制限は、すでに経済の基盤を蝕み始めている。

 ビジネスにとって身近な例をあげても、まずはエンジニアが海外から日本に入国できなくなっている。海外のエンジニアとのスムーズなやり取りが阻害されている現状は、多くの企業にボディブローのような影響を与えているはずだ。

 そもそもリモートワークがビジネスの現場で進んだからといって、それで解決するわけではない。人間というのは、本来、人と触れ合って生きていく存在だ。相次ぐ行動制限に、多くの人が「精神的にダメージを受けた」と言っていた。

 こうした政府の非科学的・非論理的な政策の影響は、プロスポーツの世界にも出ている。

 現在、プロ野球選手もサッカー選手も原則的には、新規で日本に入国できない。例えば、Jリーグでは昨年、徳島ヴォルティスがJ2に降格したが、これは、シーズン当初に新しいスペイン人監督がコロナ対策で入国できなかったことが響いていると思う。同じようなことが、幾つかのチームで今季も起きてしまうだろう。

W杯アジア最終予選を控え、合宿中の日本代表

 何より納得できなかったのは、日本代表の選手たちが日本での試合後、2週間の隔離を求められたことだ。日本代表は1月27日に中国戦、2月1日にはサウジアラビア戦を国内のスタジアムで行う。FIFAの規定では「試合後の選手は24時間以内に解放されなければならない」などとされているが、政府は「両国の選手を特例で入国させる代わりに、ピッチ上で同じ時間を過ごす日本人選手等は試合後に隔離せよ」と指示してきた。当然、その間、代表選手たちはチームに戻れない。

 現在はこの措置が6日間となったが、以前よりは「マシ」であるだけのこと。そうした措置が強行される背景にあるのも、「なぜサッカー選手だけ特別なのか」という批判を政府が恐れ、「ちゃんとやってます」との言い訳を用意しておこう、というポピュリズム的な発想だ。

本来の「聞く力」とは

 そもそも「移動の自由」とは、自由主義の国にとっての極めて重要な価値で、憲法でも保障された権利である。これは何度でも言いたいのだが、だからこそ、公益のために移動の自由を制限するのであれば、その対策の科学的・論理的、さらには、法的な妥当性も議論した上で、国民に示すのが当然のことだろう。

 ところが、現在の日本ではそうした議論をしないまま、単に厳しすぎる行動制限だけがなし崩し的に行われている。そのことに恐ろしさを感じるのは僕だけだろうか。

 こうした状況に接していると、岸田文雄首相の言う「聞く力」とはいったい何なのか、と思う。

 本来の「聞く力」とは、何が重要なポイントであるかを総合的に判断しながら、柔軟に解決シナリオを作っていく姿勢だ。それこそ、コロナ対策であれば、「社会をオープンにした場合」と「社会を封鎖した場合」のメリットとデメリットを比べ、最も被害の少ない選択肢を取ることである。

「社会をオープンにした場合」は経済がどれだけ復活し、他方でコロナによってどれだけの死者が生じてしまうのか。逆に「社会を封鎖した場合」はコロナによる死者数がどれだけ減り、失業者や経済的な困窮に陥る人、そのことを苦に自殺してしまう人たちがどれだけ増えてしまうのか。

 そうしたデータを冷静に分析した上で、解釈を加え、「だから、我々はこの選択をする」ということを国民に説明するのが政治の果たすべき役割だろう。僕らは2年前から始まったコロナの流行で、その議論こそが重要だと学び続けてきたはずだ。

 今後も「令和鎖国」を議論なしに続けていくのであれば、それは、世論の風によって右へ左へと揺れる風見鶏に過ぎない。そして、風見鶏によるポピュリズム政治ほど危険なことはない。

(みきたにひろし 1965年神戸市生まれ。88年に一橋大学卒業後、日本興業銀行(現・みずほ銀行)に入行。退職後、97年にエム・ディー・エム(現・楽天グループ)を設立し、楽天市場を開設。現在はEコマースと金融を柱に、通信や医療など幅広く事業を展開している。)

source : 週刊文春 2022年2月3日号

文春リークス
閉じる