「挫折を知っているからこそ伝えられることがある」その言葉が転機になりました。|細江純子

新・家の履歴書 第772回

音部 美穂
ライフ ライフスタイル

(ほそえじゅんこ 競馬評論家。1975年、愛知県生まれ。1996年、JRA初の女性騎手としてデビュー。2001年に引退後、競馬評論家に転身し、「ホースコラボレーター」として活躍。初心者にも分かりやすい親しみのある解説に定評がある。YouTubeチャンネルなどでも積極的に情報を発信している。)

 

 一昔前までは、騎手には親や親戚が競馬関係者で幼い頃から馬に親しんで育った人が多かったんです。でも、私の場合は、父は医療関係で、母は福祉関係。馬とは縁もゆかりもない家庭でした。生まれ育った町には大きな競艇場があり、子供時代は競馬よりむしろ競艇のほうが身近な存在だったかもしれません。

 馬を「〇〇ちゃん」と擬人化するなど独特の解説で知られる競馬評論家の細江純子さん。JRA初の女性騎手でもある細江さんは、1975年、愛知県蒲郡市に生まれた。両親と二つ上の兄の4人暮らしで、みかん畑が広がる町でのびのびと育ったという。

 父が読書家で音楽好きだったこともあり、家の中は本とクラシックのレコードで溢れ返っていました。実家は当初、平屋建ての母屋だけでしたが、本が多いうえに兄と私の成長に伴って手狭になったんでしょう。離れを建て増し、そこが父の書斎になりました。それでも足りなかったのか、母屋と離れをつなぐ渡り廊下には背の高い本棚が置かれていたほどです。

 私が小学生の頃、母屋を2階建ての家屋に建て替えました。1階には居間、キッチン、風呂、トイレなどがあり、2階には兄や私の部屋と「勉強部屋」。名古屋大学の大学院を出た父は、周囲から頼まれ、この部屋で近所の中学生や高校生に数学を教えていたんです。一方、父の書斎があった離れは壊さずに、建物ごと移動して母屋とくっつけました。

 私は学校の成績がズバ抜けて良いほうではなかったですが、家では「勉強しろ」と言われたことは一度もありません。父は、経営者で教育熱心な祖父から常に成績を問われ、勉強漬けの日々だったらしく、それが苦痛だったそうです。だから、兄や私に何かを押し付けたことはなく、「職業と結婚は自分で決めなさい」と言われて育ちました。

初の女性騎手として注目され、周囲の視線に追い詰められる

 騎手になる人は幼少期から運動神経抜群だと思われがちですが、私はそうでもなかったですね。むしろ文化系で、小学校ではマーチングバンドでトランペットを担当し、中学校でも吹奏楽部でトランペットを続けていました。

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source : 週刊文春 2022年3月10日号

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