「私も週刊文春で30年、対談をやっていますが、お目にかかって10日後に亡くなられるというのは初めてで、ショックです。ご自身の足で歩いておられ、口調もしっかりしていたのに……。ウクライナ侵攻に話が及んだ時、『ロシアはろくなもんじゃない!』と鋭くおっしゃったのが、今も耳に残っています」

そう語るのは阿川佐和子氏。俳優・宝田明(享年87)が亡くなる10日前の3月4日、小誌対談で1時間半にわたり話を弾ませていた。
父親が満州鉄道の鉄道技師だった関係で、旧満州ハルビンで育った宝田。53年に東宝ニューフェイスとして映画界入りし、翌年「ゴジラ」に主演。映画スターとして一時代を築いた。

東宝を代表する2枚目であり、石原裕次郎らと銀座で飲み歩く姿も知られていた宝田。結婚相手にどんな女性を選ぶのか、芸能マスコミの耳目は集まった。
「66年に結婚した相手は、日本人で初めてミス・ユニバースで優勝した児島明子という“期待”を裏切らぬもの。美男美女のカップルとして世間を大いに賑わせた」(ベテラン芸能記者)

東京・目黒に豪邸を築き、長女で歌手の児島未散をはじめ、3人の子宝にも恵まれた。だが……。
「私財を投じたミュージカル学校、宝田芸術学園が幹部職員の不祥事などで83年に倒産。自宅も手放し、翌年には離婚した。ただ、ほどなくしてミュージカルで共演した15歳下の女性と再婚。記者会見では『前者のフェードアウトと後者のフェードインがオーバーラップしていたかも』と語った」(スポーツ紙記者)
60年代に始めたミス・ユニバース日本代表選考会の司会は児島との離婚以降も91年まで務め“審美眼”を発揮。宝田の代名詞のひとつになった。今年3月10日には主演映画の舞台挨拶に出席したばかりだった。マネージャーが明かす。
「あの週は前半に仕事で山口県へ行くなど、元気そのものでした。舞台挨拶の日も昼間から3本、翌日も事務所で1本取材を受けた。12日に少し体調が悪いと言い、病院で診てもらうと、誤嚥性肺炎だと。その後、容体が急変してしまいました。本当に、亡くなる直前まで仕事をしていた」
晩年の宝田がこだわったのが反戦活動だ。16年には安保法制改定に反対し、政治団体「国民怒りの声」から参院選出馬を表明。当時、活動を共にした小林興起元衆院議員が語る。
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source : 週刊文春 2022年3月31日号