週刊文春 電子版

歌謡曲の時代を背負って②

短期集中連載 ジュリーがいた

島﨑 今日子
エンタメ 芸能

 71年1月PYG結成、11月ソロデビュー。ひとりで歌うことを拒み続けた沢田の背中を押したのは、井上堯之だった。以来、井上バンドはジュリーと共にいた。

写真=横木安良夫

 山口百恵が♪勝手にしやがれ 出ていくんだろ♪と「プレイバック part2」を歌ったのは、1978年だった。翌79年の秋には、「スター誕生!」が生んだアイドル、石野真子が「ジュリーがライバル」を歌う。79年の沢田研二は、「カサブランカ・ダンディ」で快調にスタートを切った。カンカン帽にボロボロのジャケット、ジーンズのジッパーを開け、ウィスキーを口に含んで霧のように吹くパフォーマンスに、テレビの向こうの小さな視聴者たちはノックアウトされ、水やジュースを口から飛ばす。模倣は最高の賛辞、ジュリー・ムーブメントは続いていく。

「カサブランカ・ダンディ」は、レコーディングに井上堯之バンドが参加していることで音楽ファンの関心を集めた。ジャケットにバンドのメンバーの顔が並んだ「恋は邪魔もの」のように、井上バンドが演奏し、ジュリーのバンドへの強い思い入れを感じさせる曲もあったが、井上バンドが録音に参加しない場合もあった。曲によって演奏者は違う。

 井上堯之によれば、その理由は、演奏印税が美空ひばり並みに高く、楽曲に対して文句ばかり言うなど、井上バンドの扱いにくさにあった。

「カサブランカ・ダンディ」の作曲・編曲を手がけた大野克夫が説明する。

「沢田の曲は、絶えずグループの音というと井上バンドで録音するのが常でした。私は曲作りの時には、特にバンドを意識して作っていません。あくまでも出来上がった曲に関して一番よい方法を考えます。そこで、『カサブランカ・ダンディ』は井上バンドでレコーディングしようと決まったのです。まあグループのサウンドがぴったりの曲でしたから、あの曲を作る時には頭にチラッとあったのかもわかりませんが」

井上堯之バンドへの愛

 沢田が、79年12月発売の音楽誌で、音楽評論家の北中正和を相手に井上バンドへの愛と信頼を語った。

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source : 週刊文春 2022年5月5・12日号

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