家が風景の一部になるようにしたかったんです。どこから見てもしっくり馴染むような。|ホルトハウス房子

新・家の履歴書 第780回

渡辺 紀子
ライフ ライフスタイル

(ホルトハウスふさこ/1933(昭和8)年、東京都生まれ。アメリカ人の夫と結婚後、世界中を回って様々な味に親しむ。帰国後、料理教室を主宰、洋菓子店「ハウス オブ フレーバーズ」をオープン。著書に『ホルトハウス房子 私のおもてなし料理』『日本のごはん、私のごはん』など。)

 

 え、年齢? 今いくつかしら。昭和一ケタの8年だから90歳ぐらい? 年のことなんて考えたことがないから。ときどき、「若々しさの秘訣は?」と聞かれるけど、「人に意地悪することよ」って答えてるの(笑)。自分を抑えたり飾ったりしないからだと思いますよ。

ホルトハウス房子さんは1933年東京生まれの88歳。父は技術者にして経営者、母は「料理はお出汁よ」が口ぐせの料理上手な人だった。幼い頃、両親が離婚。たまにしか会わない父だったが、深い慈愛を注いでくれていたことは感じていたという。

生来の食いしん坊、料理好きが高じて、料理への飽くなき追求やむことなく。西洋料理の真髄ともいうべき料理の数々を紹介してきた。50年以上続く料理教室には、親子三代で通う生徒も少なくない。

 小学校のとき、南多摩郡に疎開したの。今考えれば、そんなに遠くはないのに、あの頃は何て田舎に来たんだろうと思った。学校で、誰かの席で何人かとしゃべっていたとき、そこにあった消しゴムを何げなく触ってたの。そしたら、消しゴムをとろうとしていると誤解されて……。もちろん、とろうなんて気はさらさらありませんでしたよ。誤解した子たちは都会の子と違って、心の中でうじうじ思っているのにハッキリ言わないの。それがすごく嫌だった。それで、これから東京大空襲が始まろうというときに東京に帰って来ちゃった。小さな小さな出来事ですけど、何十年経っても嫌なものですね。そんなことを、ふっと今、思い出しました。

主人はうるさくない人。任せたらそれでおしまい。気が楽だった

 22歳の時、短期間働いていた米軍基地で知り合った、15歳年上のアメリカ人エンジニアと結婚。最初の3年ほどはアメリカ国内を転々とし、さらに海外転勤もあって、台湾やタイでも暮らす。その間、15回引っ越しを経験する。日本に帰ってからしばらく、東京・国立にも家を持ったが、最終的に落ち着いたのは、鎌倉山だった。

イラストレーション 市川興一/いしいつとむ

 何度も引っ越したからかもしれませんけど、余分なものは持たない。必要じゃないものは買わない。ともかく、ものには執着しませんね。どんどん捨てちゃうし。でも、必要なものは、修理しながら、大切に使い続けています。

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source : 週刊文春 2022年5月5日・12日号

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