週刊文春 電子版

ふりかえると私はリフォーマー。すでにあるものと折衷して、綺麗に直して去っていく(笑)。|小谷真理

新・家の履歴書 第781回

石井 千湖
ライフ ライフスタイル

(こたにまり SF&ファンタジー評論家。1958(昭和33)年、富山県生まれ。北里大学薬学部卒業後、薬剤師を経てSF&ファンタジー評論家に。1994年『女性状無意識』で日本SF大賞受賞。現在、高志の国文学館「個性きらめく富山の女性作家たち展(第2期・6月6日まで開催)」にて業績が展示されている。)

 

 小谷家のルーツは、岐阜県白川郷の平瀬にあった「たろえもの家」という大きな合掌造りの家です。江夏美好さんの『下々(げげ)の女』という小説にも描かれています。曽祖父の時代に、富山県上平村(現在の南砺市)、五箇山の小谷屋(おたんや)という家に移ってきました。五箇山は『ロード・オブ・ザ・リング』のホビット村のような素朴で小さな集落です。住民はみんな親戚という感じで、名字ではなく屋号で呼び合う。母方の祖母も同じ村の出身です。

 日本におけるフェミニズムSF評論の開拓者であり、コスプレイヤーの先駆けとしても知られる小谷真理さんは、1958年、母の実家がある富山市で生まれた。

 私の記憶にある最初の家は、岐阜の御母衣(みぼろ)ダムの社宅です。父の仕事は、ダムと水力発電所を造ることでした。子供のころ、村に初めて電気が通るときにやってきた技師さんがすごくかっこよく見えたらしくて。父は貧しい農家の次男坊だから、自分で職を探さなくちゃいけなかった。親戚を頼って神奈川県に出て、働きながら苦学して電気技師になり、太平洋戦争後に設立された半官半民の電源開発という会社に就職したんです。

 電力会社の社宅なので当時としては最先端の住宅だった。トースターもテレビもかなり早くからありました。ただ、山奥なので周りには何もない。私と妹は幼稚園に上がる前に、母と富山市の祖父母の家に移りました。父はそれからずっと単身赴任で、ほとんど一緒に暮らしたことはありません。

 母と私と妹と祖父母は、1964年に神奈川県平塚市に引っ越しました。父母がコツコツお金を貯めて家を建てたんです。2階建ての母屋と離れが水場でつながっている、日本の典型的な郊外の二世帯住宅。私と妹は「ゴシックハウス」と呼んでいます(笑)。

 父はいつも優しくて穏やかな人でしたが、母は神経質でいつもピリピリしていた。体は大きいし、上昇志向が異様に強くて。父とルーツは同じでも育った文化がまったく違うんですよ。母方の祖父は(愛知県)常滑出身で、左翼系のインテリ。若いころは活動弁士だったそうです。その後、富山市でクラシック音楽をかける喫茶店を開いて、非常に繁盛していました。ところが、空襲で全部焼けてしまった。戦後は一家が食べていくのもカツカツの状況になりました。

本の世界に逃避するうち、SFに夢中に。『火星のプリンセス』が一生を決めた

 母は少しのあいだNHKラジオのアナウンサーをしていたこともあり、都会的なインテリの生活に憧れていた。田舎出身で理系体育会系の父に不満を抱いていたのでしょう。「戦争で男が大勢死んじゃって、あの時代の女は選ぶとかそういうことができなかった」というのが口癖でした。

 夫が勲章にならないから、自分の理想を娘に押し付けたんですね。必ずしも成績が悪くない私も、体の弱い妹も、毎日叱られて疲弊していました。母は同居の祖母とも喧嘩ばかりしているし、家の中は殺伐としていた。逃避できるのは本の世界しかありませんでした。なかでも夢中になったのが、偕成社の〈SF名作シリーズ〉に入っていたエドガー・ライス・バローズの『火星のプリンセス』。これで一生が決まってしまいましたね。

 平塚市立春日野中学校1年生のとき、NHKの少年ドラマシリーズで筒井康隆『時をかける少女』が原作のドラマが放映され、小谷さんはさらにSF小説にのめりこんだ。『海のトリトン』や『バビル2世』などのアニメも楽しむようになった。SFファンと広く交流するようになったのは、神奈川県立平塚江南高校に入学してからだという。

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

すべての記事が読み放題
月額プランは初月100円

有料会員になると…

世の中を揺るがすスクープが雑誌発売日の1日前に読める!

  • スクープ記事をいち早く読める
  • 電子版オリジナル記事が読める
  • 音声・動画番組が視聴できる
  • 会員限定ニュースレターが読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 週刊文春 2022年5月19日号

文春リークス
閉じる