映画やネット動画などを倍速で視聴する若者が増えている、ということが、いま話題になっている。僕なんかは大学で若者と接する機会が多いので、同じことをずいぶん前から危ういなと感じていた。
2年前、コロナ禍で大学の講義ができなくなったとき、講義内容を動画にして学生に各自家庭で視聴してもらうという授業形態に、しぶしぶ切り替えたことがあった。そのとき早送りで視聴されるのがイヤだったので、それができない設定にしたところ、ある学生から「早送りで視聴したいので設定を変えてください」という要望が悪びれもせず送られてきたのに驚いたことがある。思えば、もうあの頃から、一部の若者のなかでは動画の倍速視聴は当たり前のものになっていたのだろう。
こっちもプロなので、「一生懸命に授業をしている人の気持ちを考えたことありますか?」なんて、甘っちょろいことは言わない。それよりも、そういう意見が出てくる前提として、大学の授業というものが、ただ「情報」を得るためだけのものだという誤解があるのだとしたら、それは断固否定しておかねばなるまい。
大して面白くもない講義かも知れないが、それを聴いている間に「え? それ本当かよ?」とか、「あ〜、昔おばあちゃんが言っていたのは、このことだったのね!」とか、「哲学の授業でも先生が同じこと言ってたけど、それとこれはどう関係するんだ?」とか、話と話の「間」に、たまにいろんなことが頭に去来する、それ! 僕らがしゃべる内容なんかより、その話題をきっかけにして、それぞれの頭のなかで色々と考える、その時間。それこそが、なにより創造的な瞬間であるし、思索的な経験なのだ。そうした「間」も含めて、講義というものは成り立っている。なのに、その「間」を倍速にしてすっ飛ばして、こちらの話すネタだけ要領よく摂取しようなんて考えには、やっぱり僕は共感できない。
ただ、今時の学生と接していると、その気持ちは分からなくもない。たまに授業で往年の名画などを見せると、最近は「面白かったけど、少しダレた」とか、「最後のシーンはもう少しスピード感が欲しかった」といった残念な感想が必ずちらほら見られる。最近の若者たちを取り巻く映像技術は超速で進歩していて、アクション映画だろうが恋愛映画だろうが、つねに展開は刺激的で、一瞬も飽きさせない工夫に満ちている。それに比べると、いかに名画とはいえ、数十年前の映画はやはり展開がスローで、集中力が削がれてしまうようだ。これは、時代の変化として仕方のないことなのかも知れない。
では、僕らのご先祖、室町時代の人々の演劇への向き合い方は、どうだったのだろうか。
たとえば、室町時代に由来する芸能である能楽なんて、一番の上演時間が平均約77分。その間、ほとんど劇的な展開は無いし、セリフも唸るような発声で、息の続くかぎり、やたらと長く延ばす。僕もいちおう普通の人よりは意識の高い観客のつもりだが、それでも前日にちょっと夜更かしなどしてしまうと、途端に上演中に眠りの闇に吸い込まれそうになる。これは僕が教養がないためではないか、と一時思い悩んだこともあったが、その世界の最高権威とされる学者さんも「気を抜くと眠くなる」と言っているのを聞いて、とても安心した覚えがある。
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source : 週刊文春 2022年6月30日号