安い部屋なのでトラブル続き。下水管が詰まり生ゴミ混じりの水が風呂場に溢れました。|藤倉 大

新・家の履歴書 第788回

音部 美穂
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(ふじくらだい 現代音楽作曲家。1977年、大阪府生まれ。15歳で単身渡英。英国を拠点に作曲活動を行う。尾高賞、芥川作曲賞をはじめ、世界の数々の作曲賞を受賞。アーティスティック・ディレクターを務める「ボンクリ・フェス」が東京芸術劇場にて7月15日〜16日に開催予定。)

Ⓒ Alf Solbakken

 僕は理想の家に住めたことが一度もないんです。なんせ家賃重視なので、治安が悪いエリアで狭くてボロボロの家ばかり。作曲家という仕事がいかに儲からないかよくわかるでしょう(笑)。でも、それは僕にとって家よりも大切なことがあるから。住みたい家に住めないのは、ある意味必然なのかもしれません。

 独創的なサウンドで世界中を魅了し続ける気鋭の現代音楽作曲家・藤倉大さん。映画『蜜蜂と遠雷』の劇中曲を手掛けたことでも話題を呼んだ彼は、1977年、大阪府摂津市に生まれた。音楽家には親も音楽家という人も多いが、藤倉さんの両親は音楽関係ではなく、言ってみればごく普通の家庭。ただ、両親共に音楽が趣味で藤倉さんも5歳からピアノを習い始めた。

 最初に通ったのは幼稚園のピアノ教室。小学校でも週1回、音楽教室に通い続けていました。でも、次第に楽しさを見出せなくなってしまって。ハイドンやモーツァルトの曲の良さが全然分からず、楽譜通りに弾くことに興味が持てなかったんです。だから、与えられた曲を自分が弾きたいようにアレンジし始めた。当然、先生には「楽譜通りに弾きなさい」と怒られる。そこで考えたんです。ゼロから自分で楽譜を書けばいい、と。

 8歳になった頃、試しに五線紙に曲を書き始めたら、するすると音符が出てきて。それをピアノで弾いてみた時の感動は今も忘れられません。「これだよ、こういうのを弾きたかったんだよ!」って。何百年も前のヨーロッパのオッサンが貴族のために書いた音楽より、自分の曲の方がずっといいと思ったんです。

 その後は、ほぼ毎日作曲をしていました。音楽教室で作曲を習い始めたのは中学生の時。といっても、毎回自分が作った曲を録音したテープを聞いてもらうだけでした。

 現代音楽と出会ったのもこの頃。当時住んでいた摂津市内のマンションの階下の住人が、たまたまイギリス帰りの英語の先生だったんですよ。その方が現代音楽のファンでCDを貸してくれたんです。

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source : 週刊文春 2022年7月7日号

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