(マキタスポーツ 芸人、ミュージシャン、文筆家、俳優。1970年、山梨県生まれ。芸人、ミュージシャン、文筆家、俳優などマルチに活躍。98年、「浅草お兄さん会」で芸人デビュー。俳優としては、2012年公開の映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞を受賞。22年には初の自伝的小説『雌伏三十年』を刊行。)
30代後半で、子供もいるのに、数百万円の借金ができちゃって。原因はサンボマスターや清水ミチコさんなどに出てもらった「マキタ学級大文化祭」を主催したから。このイベント自体は高評価を得たんですけどね。
芸人の仕事と掛け持ちしながら、渋谷のラブホテルでバイトを始めました。芸人崩れや俳優崩れが集まる仕事場で、居心地が良かった。でも、ズルズルと2年が過ぎて、このままじゃダメになるなと。カミさんに「もう一度頑張るから」と言ってバイトを辞め、やり直したんです。
「作詞作曲ものまね」をはじめ、芸人、ミュージシャン、文筆家、俳優とマルチに活躍し、それぞれのフィールドで異彩を放つマキタスポーツさん。1970年1月25日、山梨県山梨市に生まれた。
芸名は、生家の「マキタスポーツ店」からとりました。本名は、槙田雄司です。
生家はJR山梨市駅から1キロほどの小原西商店街にあって。駅の側には林真理子さんの実家の書店がありました。
親父が店をやっていて、お袋、父方の祖父母、四つ上の兄貴と住んでました。家兼店は鉄筋3階建てで、1階が店舗、2階に水回り、居間、仏間、祖父母の部屋と両親の部屋。階段を上った3階は倉庫とのちに僕と兄貴がそれぞれ自分の部屋にする2部屋です。店の奥に作業場があって、親父が夜遅くまで草野球チームなんかのユニフォームにアイロンを当ててゼッケンを付けていたのを憶えてますね。
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source : 週刊文春 2023年1月5日・12日号