(André Terrail トゥールダルジャン オーナー。1980年7月20日、長い歴史をもつフランス料理店「トゥールダルジャン」のオーナー家の長男としてパリに生まれる。エコール・アルザシエンヌ卒業後、ボストンのバブソンカレッジでマーケティングの学位を取得。2006年、26歳で同店のオーナーに就任。)
英国のエリザベス二世は18万5397番、フランクリン・ルーズべルト米国大統領は11万2151番、チャールズ・チャップリンは25万3052番、ミック・ジャガーは53万1147番、そして昭和天皇は4万3211番。これらはパリの高級フランス料理店「トゥールダルジャン」で、1890年から今日まで続く、提供された鴨を数えるナンバリングだ。
創業は1582年に遡る。現在のパリ五区のセーヌ河岸にあった小さな宿で、対岸の城の銀色に輝く塔がよく見えたことから、仏語で銀の塔を意味する「トゥールダルジャン」と名付けられた。その現オーナーがアンドレ・テライユ氏だ。
子供の頃に住んでいたのはセーヌ河沿いにある建物の5階でした。サン=ルイ島に渡るトゥールネル橋のたもとにあって、河の流れをふたつに分かつシテ島と、その上に建つノートルダム大聖堂がよく見える場所です。
パリの街は通りに面して6、7階建ての建物が隙間なく並んでいて、多くの建物に中庭があるんです。その中庭に面した窓を開けていると、上の階にあった厨房から様々な音が聞こえてきました。包丁とまな板が立てる軽快なリズム、鍋や道具がぶつかりあう金属音、ギャルソンやソムリエの忙しない足音、料理人たちの大きくて野太い話し声……。もちろん美味しそうな食材の匂いも漂ってきましたよ。幼いながら、ジャック・タチ監督の映画を見るように、上のフロアで何が行われているかを想像していた気がします。
レストランフロアは格好の遊び場。いたずらの記憶にはいつも父がいます
すらりとした高身長のテライユ氏。スマートで堂々とした立ち居振る舞い、控えめで落ち着いたトーンの話し声は、さすがは世界的な名店のオーナーだと思わずにはいられない。
1980年、フランス人の父・クロード、ファッションモデルだったフィンランド人の母・タルヤの間に誕生した。祖父と同じ名前を付けられた彼が幼少期を過ごしたのは、創業時の約440年前と同じ場所にある「トゥールダルジャン」の建物。2階に父が仕事をしていたオフィス、5階が家族の居住フロア、その上層階にレストランフロアと厨房があった。
父が再婚して62歳の時に授かった子供だったので、とても僕を可愛く思っていたのだと思います。オフィスの中で遊ぶのを許してくれましたし、むしろ一緒に室内でサッカーをして花瓶を割ったり、ポロのマレットと呼ばれるスティックを振り回してシャンデリアを壊したり。鉛の兵隊にパラシュートを結びつけて上の階の窓から落として、地上にいる駐車係のスタッフが慌てるのを眺めたり。子供時代のいたずらの記憶にはいつも父がいますね。僕の最初の親友は父でした。
紋章が彫られた銀皿や綺麗に磨かれたグラスが置かれたレストランフロアも、僕にとっては格好の遊び場でした。みんな、内心はヒヤヒヤしていたでしょうが、父が怖かったからか、当時、80人ほどいたスタッフの誰も僕を叱りませんでしたね。
初回登録は初月300円で
この続きが読めます。
有料会員になると、
全ての記事が読み放題
既に有料会員の方はログインして続きを読む
※オンライン書店「Fujisan.co.jp」限定で「電子版+雑誌プラン」がございます。ご希望の方はこちらからお申し込みください。
source : 週刊文春 2023年3月30日号