今年は談志の十三回忌。一門を出るしかないと覚悟したこともありました。|立川談四楼

新・家の履歴書 第825回

伊藤 愛子
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(たてかわだんしろう 落語家・作家。1951(昭和26)年、群馬県生まれ。70年、立川談志に入門。83年立川流落語会第一期真打に。90年、真打昇進試験や立川流設立の顛末を描いた小説『シャレのち曇り』を上梓。落語と文筆の両方で活躍している。最新刊は兄弟子のことを描いた『文字助のはなし』。)

 

 落語家としての転機は、1983年、真打昇進試験に落っこちたことです。あの頃の落語界は激動でしてね。試験現場で褒められた私が落ちて、けなされてた他のが受かった。実力が評価されたわけじゃなく、業界の政治的判断に、巻き込まれた結果でした。

 不合格の知らせを聞いて、師匠の立川談志が怒ってね。いや、私にではないですよ。自分が推薦した私を落っことした落語協会に対してです。「こんなところには、居られねぇ」と協会を脱退し、立川流を設立する大騒動となってしまいました。つまり私は立川流旗揚げのきっかけを作った当事者になってしまったわけです。それまでも協会と衝突していた談志は、「おまえのために脱退するんじゃない。いいきっかけを作ってくれた」と言ってくれましたけどね。私のために進退をかけて抗議をしてくれたことは、生涯忘れません。私としては「落語が下手だから試験に落っこちた」と思われるのだけは悔しかったんで、そこからはいっそう本気で落語に取り組むようになりました。

 立川談四楼(本名・高田正一(まさかず))さんは、立川流落語会の真打第一号にして、芸歴53年のベテラン落語家。『シャレのち曇り』、『談志が死んだ』などの小説を発表し、作家としても活躍している。

 私は昭和26年(1951年)、群馬県の邑楽(おうら)郡で生まれました。山に囲まれて、冬はからっ風が吹くところ。親父は大工の棟梁で、おふくろは煙草や雑貨を商う店をやってました。生まれて18歳までいた家は、木造の平屋。入ると左側が煙草売り場で、その横に焼きそばを作って売るスペース。その奥の六畳間に、家族6人が生活してたんですから狭かった。さらに奥に八畳の部屋があり、親父が普請場として使ってました。職人やお客さん、いろんな人が集まる家で、わいわいバカっ話してる環境でね。それは落語に出てくる世界と共通してたかもしれない。

 親父は怖かったですね。決して手はあげなかったけど、「こらっ」と睨まれるだけで、震えあがってました。おふくろは優しい人で、近所の人の悩み相談なんかも引き受けてましたね。本好きで、忙しい合間を縫って瀬戸内晴美(寂聴)の本とか読んでました。だから、私の本好きは、母親譲りなんです。

高校卒業後に憧れの談志に弟子入り。見習い修行の1年で13キロ痩せた

 妹ひとり弟ふたりがいる4人きょうだいの長男。

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source : 週刊文春 2023年4月6日号

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