芸人人生の崖っぷちだった四十路で引っ越し。その部屋がツキを運んでくれました。|飯尾和樹

新・家の履歴書 第837回

勝木 美穂
ライフ ライフスタイル

(いいおかずき お笑い芸人。1968年、東京都生まれ。90年に浅井企画に所属し、芸人活動をスタート。2000年、やすとお笑いコンビ「ずん」を結成。近年はバラエティ番組だけでなく、朝の情報番組や俳優業にも活躍の場を広げている。著書に『師匠!いらしたんですか』などがある。)

 

 子どもの頃から図面や設計図が好きでした。家の間取りを見たり、考えたりするのも好きだったので、「サザエさん」を見ながら「マスオさんの部屋がここなら、カツオとワカメの部屋はこっちかな」なんて、磯野家の間取りをよく想像していましたね。今でも信号待ちをしている時、そばに不動産屋さんがあると、貼ってある間取り図につい見入ってしまって、青信号を2つ、3つ見逃すなんてことをよくやっています。

「ぺっこり45度」や「忍法メガネ残し」など、シュールな癒し系ギャグでお馴染みの、お笑いコンビ「ずん」の飯尾和樹さん。自他共に認める“物件マニア”の飯尾さんは1968年、東京都で3人きょうだいの長男として生まれた。

 まず覚えているのは、5歳まで暮らしていた目黒区祐天寺のアパート。1階にでっかいシェパードを飼っている大家さんが住んでいて、2階がアパートになっていました。僕達家族ともう1世帯、あと学生さんがいましたね。六畳二間にキッチンとトイレ。風呂はなかったから、近所の銭湯に行っていました。

 目黒区立中町保育園に通っていた僕は、父方、母方どちらにとっても初孫だったので、まさに王子様扱いで育ちました。ご飯をお代わりするだけで、「こいつはスゴイ!」なんて褒められていたほど。でも、それも妹や従弟が生まれる4歳まででしたね。人間、比べるものができると変わるんです(笑)。

 両親は、2人とも目黒区役所の職員でした。お袋は東京・品川で長く続いていた蒟蒻屋の娘。親父もそうですが、裕福に育った感じのほわっと朗らかな人です。酔った勢いで親父から聞いた話によると、大失恋をして落ち込んでいた時に転属してきたのがお袋だったとか。「いつもニコニコしていて、その明るさに救われ、だんだんだんだん」って、話していました。

飯尾家の掟で、18歳で家を出ることに。父親に渡され、初めて開いた住宅情報誌

 滋賀・彦根出身の親父は、落語やお笑いが大好きで、映画「男はつらいよ」のファン。年に2回、僕も渋谷の映画館に観に連れて行ってもらいました。中学生の頃、お袋に対する口の利き方が悪かったのか、突然頭を叩かれて、投げ飛ばされたことがありました。普段は穏やかですが、怒ると怖かったなぁ。

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source : 週刊文春 2023年7月6日号

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