(たてのいずみ ピアニスト。1936(昭和11)年、東京都生まれ。64年よりヘルシンキ在住。著作に『ハイクポホヤの光と風』など。今年秋に東京、神奈川、長野、愛知、京都、福島で開催される「米寿記念演奏会 舘野泉ピアノ・リサイタル」は各種サイトでチケット発売中。)
ここ約20年、秋から春にかけては日本で過ごし、夏にはフィンランドに帰るという生活を続けています。自宅はフィンランドのヘルシンキにありますが、暑い時期はヘルシンキから北へ230キロ程離れた、パイヤラ村の湖畔に建つ別荘で過ごしています。
といっても、音楽家は仕事があるところが住処になるんですよね。
これまでにリリースされたLP/CDは約130枚。日本はもとより、北米、南米、北欧諸国を含むヨーロッパ全域、アジアに中東と、まさに世界中で演奏し、聴衆を魅了してきたピアニストの舘野泉さん。
1936年11月、東京都目黒区自由が丘にある実家の一室で、お産婆さんに取り上げられた。そこは、日本滞在中には今も舘野さんが暮らす家。舘野さんが生まれた部屋は今も当時のままで、柱には子供のときの身長が刻まれている。
父はチェリスト、母はピアニストで、僕は4人きょうだいの長男です。両親は共に武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)に通い、そこで出会ったそうです。
一番古い家の記憶は、太平洋戦争末期の疎開先でのこと。1945年3月、僕は8歳でした。東京が空襲を受けて、夜になると東の空が炎で赤く見えた。いよいよ危ないというので、一家で疎開したんです。今考えると可笑しいんですが、疎開先というのが世田谷区上野毛。自由が丘とは目と鼻の先です。でも当時の上野毛は本当にひっそりとした静かなところだったんですよ。そこに一軒家を借り、アップライトのピアノを含めた家財道具一式を運び込み、一家で移り住みました。ところがこの家が焼夷弾をくらってしまって。僕ら家族は防空壕に避難していて無事でしたが、翌朝に戻ると家は跡形もなくなっていました。ピアノは枠だけが焼け残り、ゴロンと横になっていてね。でも僕は、ピアノよりも、その頃大好きで何度も読んでいた宮沢賢治の『風の又三郎』と『西遊記』が燃えてなくなってしまったことの方が悔しかった。
急遽行った実家でのコンサート。部屋は満杯、ピアノにしがみついている人も
その約1週間後に、母と弟と2人の妹、そして2人の従兄弟と一緒に、栃木県の親戚の家に疎開しました。江戸時代から150年程続く大きな農家で、僕たちはそのなかの蚕部屋に寝泊りしました。夜、みんなが寝静まると、ザワザワ、ザワザワと蚕が桑の葉を食む音が響くんです。ここでの生活は、音楽はまったくなかったけれど本当に楽しかった。僕は、児童が全学年で20人程の小さな村の分校に通い、すぐにみんなと仲良しになりました。今思い出しても宝物のような時間です。
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source : 週刊文春 2023年8月3日号