(たかすみつよし 放送作家。1963年、兵庫県生まれ。龍谷大学卒業後、24歳のとき『4時ですよーだ』で放送作家デビュー。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』『水曜日のダウンタウン』『ロンドンハーツ』などを担当。脚本家、作詞家、ラジオパーソナリティとしても活躍中。)
僕は一軒家で生まれ育ったので、自分が購入するなら絶対に一軒家がいいと思っていました。若い頃はアパートやマンションで一人暮らしをしていましたが、実はあまり集合住宅が好きじゃないんですよね。部屋着の状態で同じ階の住人と遭遇したり、エレベーターに同乗したりするのが苦手で……。念願の一軒家を手に入れたのは、40代に突入してからのことでした。
「ダウンタウン」の浜田雅功さんと松本人志さんの幼馴染みとしても知られる放送作家・高須光聖さん。脚本家、作詞家、ラジオパーソナリティなど幅広い分野で活躍中だ。高須さんは1963年、兵庫県尼崎市で果物店「御影屋」を営む両親の下に生まれた。ただ、幼少期の記憶は尼崎ではなく、愛知県三河地方の祖父母の家での暮らしだったという。
僕が生まれた直後、父が神戸の果物店から暖簾分けする形で独立したため、両親は店の仕事で忙殺されていました。そこで僕は2歳から幼稚園に入る前まで、祖父母の家に預けられることに。1〜2カ月おきに両親が様子を見に来ましたが、母は毎回、僕と別れるときに号泣していたと聞きます。でも、僕自身は寂しがるわけでもなく、祖父母と楽しく過ごしていました。農家だったので祖父母は畑仕事に追われていましたが、僕はあぜ道で遊んでいて「泣かずにひとりで遊んでいて偉いねぇ」とよく褒められたりして。
祖父母の家はコの字型の大きな平屋でした。西側の母屋には居間や仏壇が置いてある部屋や寝室など。コの字型の真ん中部分が台所で、かまどが2つ。東側に五右衛門風呂や、汲み取り式の“ボットン便所”があり、肥溜めの糞尿を肥料として、畑に撒いていました。東側の水回りは母屋と少し離れていて、一度外に出ないとお風呂やトイレに行けない構造。夜は怖くて1人でトイレに行けず、祖母に連れて行ってもらっていました。
行き場を失った東京生活。放送作家への扉を開いてくれた友の言葉
祖母は「ウチは平家の流れを汲んだ高貴な家なのよ」と農家なのに不思議なことを言っていた記憶があるのですが、その真偽はわかりません。確かに高価そうな刀や壺などはたくさんあったんですけどね。
4歳で尼崎の生家に戻った高須さん。その頃には果物店も軌道に乗り、生まれたばかりの弟もいた。果物店からわずか30メートルほどの場所にある一軒家に、高須家と店を手伝う出稼ぎの女性2人の計6人で暮らすようになる。
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source : 週刊文春 2023年7月27日号