「並の人が住むとこじゃないよ」「でも、俺、空手部だから」これが“魔窟”生活の始まりだった。|三遊亭白鳥

新・家の履歴書 第843回

岸川 真
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(さんゆうていはくちょう 落語家。1963(昭和38)年、新潟県生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、87年に三遊亭圓丈に弟子入り、にいがたの芸名をもらう。2001年に真打に昇進、05年に彩の国落語大賞を受賞。落語絵本『ジョニーとマーガレット スーパー恋ものがたり』など。)

 

 俺もついに還暦だ。田舎のボンクラ少年が、豪雪地帯からとにかく逃げたい一心で上京。貧乏を続けながら噺も知らねえのに落語家になって、こうやって取材まで受けるようになった。世の絶望した若者に、これ読んでもらって希望を与えたい!

 新作落語のトップランナー、三遊亭白鳥(本名・藤田英明)さんは、1963年、新潟県高田市(現・上越市)に自転車卸問屋の次男として生まれた。

 生家はバカでかい。問屋だから巨大な倉庫が2棟あって、雪下ろし用の中庭もある。便所は外。母屋は1階が店舗で2階が居住区。ここに家族の他に住み込みの従業員もいて。3階は昔、婆さんが料亭やってたところでね。風呂は総タイルで湯口が岩造り。ブロンズのリスや葡萄の蔓があしらってあるようなやつだった。商店街で軒を接してるから窓が少なく、坂口安吾が「雪国の家は暗い」って書いた通りの陰気さだった。

 問屋の創業者は婆さんでダイナモ(発電機)を売ってた松下幸之助が会いに来たりと、地元じゃ名の知れた女傑。“直江津のおじさん”って人が、よく泊りに来てた。小遣いくれるし、てっきり爺ちゃんかと思ったら婆さんの愛人(笑)。

 親父は早稲田の政経を出た秀才だけど、嫌々家業を継いだ人。自転車がダメになりそうになったら、プラモデル屋で当て、ミニ四駆がブームになったら倉庫を改築してサーキットを作って小売もやって大儲け。商才はあったんだ。

 地元では次男坊を「もしかあんちゃん」って呼ぶ。兄貴が家を継げない場合の代わりって意味。俺は、まさにソレ。兄貴(藤田明良、現・天理大教授)が事故で足を悪くしてから、親父は三代目を俺に決めていたんだよね。

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source : 週刊文春 2023年8月17日・24日号

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