親方になった「平成の新怪物」。たくさんの弟子――息子たちと一緒に師匠としても成長していきたい。|二子山雅高

新・家の履歴書 第851回

佐藤 祥子
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(ふたごやままさたか 本名・竹内雅人。元大関雅山。1977年、茨城県水戸市生まれ。98年、武蔵川部屋(現・藤島部屋)に入門。初土俵から4場所連続優勝という記録を作り、99年3月場所で新入幕。2000年5月場所後に大関に昇進。13年3月場所後に引退。18年4月、「二子山部屋」を再興。)

 

 父は、二十数社ある茨城交通グループの「袋田温泉ホテル」とツーリスト系の会社の社長でした。母はホテルの女将で、17歳上の父の長兄を中心に、一族でグループを経営していたんです。祖父の代からなのか、父の兄弟が一代で築いたのか、僕はわからないんですよ。自分は3人きょうだいの真ん中で、6歳上の姉、1歳下の妹がいます。僕は跡取りの立場ではあったんですが、家業にまったく興味がなかったんですよね。

 そう笑うのは、元大関雅山の二子山親方だ。現在は16人の弟子を抱える師匠として相撲部屋を束ね、本場所中は審判部の親方として多忙を極める。1977年、茨城県水戸市で、体重4500グラムのビッグベビーとして生を受けた。

 父は昭和の昔の人間で、口より手が出る厳しい人。でも月に何度かは母を休ませるためにも外食に行ったり、釣りが好きで海に連れて行ってくれたり。晩年にガンを患い、現役の力士だった僕は本場所後の休みに1泊で旅行したこともありましたね。2004年に他界しましたが、生きていたら八十二、三歳。身長は僕と同じくらいで一八五、六センチあったんです。

「とにかく大学には進学しろ」と実業家の父。当時はまだ珍しかった大学出の力士

 僕の生まれた家は2階建ての一軒家。無農薬の野菜を食べさせたいと、父は庭で家庭菜園もしていました。趣味の域を超えていて、あらゆる野菜を作っていました。収穫の手伝いをしていたので、学校で芋掘りの行事があると僕は誰よりもうまかった(笑)。

イラストレーション 市川興一/いしいつとむ

 小学生の時にはもう大相撲が好きで、よく友達と相撲を取っていました。学校で一番大きかったので、「相手をケガさせてしまうから相撲はやめなさい」と母は心配していたものです。小学6年の時、担任の先生に「相撲で勝ったら焼肉に連れていく」と言われ、初めて水戸市の大会に出て、たまたま優勝して。

 ただ中学には柔道部しかなく、「柔道をやるから相撲もやらせてくれ」と先生に直談判しました。勉強はできないわけではないけど、嫌いでね。父は、たぶん将来は一族のグループに入れようと考えていたんだと思いますけど、「とにかく大学には進学しろ」と。「スポーツで大学に行こう」と思い、柔道と相撲を一生懸命、自分でも褒めたいくらいに頑張りました。

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source : 週刊文春 2023年10月19日号

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