妻と家と子。中国の男性はその3つを得て一人前だという思いが強いんです。|周 来友

新・家の履歴書 第852回

稲泉 連
ライフ ライフスタイル

(しゅうらいゆう ジャーナリスト。1963年、中国浙江省生まれ。87年、私費留学生として来日し、95年、東京学芸大学大学院卒業。通訳・翻訳の派遣会社を経営する傍ら、『ニューズウィーク』日本版で中国事情について執筆中。情報番組などにも出演。YouTube「地球ジャーナル ゆあチャン」配信中。)

 

 わたしが生まれ育った中国の紹興市は、その名の通り紹興酒で有名な町です。各家ではそれぞれ自家製の紹興酒を作っていて、我が家でも母がいつも仕込みをしていました。

 軍医だった父は転勤が多く、帰って来るのはお正月くらい。そのとき、母が用意した料理を食べながら、父が紹興酒を機嫌よく飲んでいた姿を覚えています。わたしも「美味しいものは小さいうちから味を覚えておけ」と、子供の頃に飲まされたものでした。だから、カッコつけてよくこう言っているんですよ。日本で軍医といえば森鷗外がいる。森鷗外は軍医で文豪だった。うちのオヤジは軍医で酒豪だった、って。

 周来友さんは1963年、上海の南の浙江省紹興市で生まれた。現在は通訳・翻訳の派遣会社を経営する彼が、私費留学生として日本に来たのは87年。一時期はバラエティ番組『ここがヘンだよ日本人』『なかよしテレビ』などでも人気を博した。

 紹興は今でこそ高速道路などが通り、風景は様変わりしています。でも、当時は長閑(のどか)な水郷地帯で、子供の頃はそこら中に流れている小川が遊び場でした。川に飛び込んで海老や魚を獲って一日中遊んでいました。

 中国はまだまだ貧しかったけれど、紹興は水が良いので野菜もお米も美味しいんです。夜、家の外で涼を取りながら、並べたテーブルで母の料理をみんなで食べる時間が好きでした。

 今でも印象深いのは、わたしに「日本」という国を教えてくれた朱おじさんです。明の皇帝・朱元璋(しゅげんしょう)の末裔だという80歳を超えたおじいさんで、昔話をよくしてくれました。抗日戦争の際に日本兵が家に来ると、よく「みしみし」と言っていたと朱おじさんは言っていました。それが「飯」という言葉だと知ったのは、日本語を学ぶようになってからのことです。

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source : 週刊文春 2023年10月26日号

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