挿絵画家の父は引っ越し好き。子どもの頃は、画稿を取りに来る編集者が遊んでくれました。|逢坂 剛

新・家の履歴書 第857回

石井 千湖
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(おうさかごう 作家。1943年、東京都生まれ。中央大学法学部卒業。80年「暗殺者グラナダに死す」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年『カディスの赤い星』で直木賞、2015年『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。〈百舌〉シリーズ、〈禿鷹〉シリーズなど、著書多数。)

 

 1943年、東京都文京区上富士前で私は三人兄弟の末っ子として生まれました。父は中一弥といって、時代小説の挿絵を描いていた画家です。後年知りましたが、父の師匠の小田富弥は、幕末の浮世絵師・歌川国芳の一門の直系にあたる画家だったらしい。母は父の妹弟子でした。

 私は生後まもなく岡山県の農家に預けられました。結核を患っていた母の病状が悪化したんです。母は私が1歳3カ月のときに亡くなり、父は太平洋戦争に応召して、兄2人も岡山に疎開しました。兄たちは伯父が営む鉱山の寮にいましたが、私が預けられたのは比較的裕福な農家で、食糧難の時代にもかかわらず卵をたくさん食べられた。おかげで体が丈夫になったのだと聞いています。

 映像化もされたベストセラー警察小説『百舌の叫ぶ夜』などで知られる作家の逢坂剛さんは、物心つく前に家族と離ればなれになった。終戦後、父はしばらく山形で働き、1947年に東京に戻ってきたという。

 父は引っ越し好きでね。はじめは文京区の、根津神社の近くに下宿していたのかな。それから千駄木町のアパートに移りました。父は新築と言っていたけれども、私の記憶では汚いアパートだったような気がします。六畳一間に流しがついているだけでした。風呂はなく、トイレは共同でした。

 父はいつも小さな机に向かって絵を描いていました。母はいないのが当たり前の環境で育ったので、寂しいと思ったことはありません。8歳上の長兄が母親代わりという感じで、次兄や私がいたずらすると叱られていましたね。近所のおばさんが炊事や洗濯の面倒を見てくれましたし、父の画稿を取りに来る編集者が遊んでくれたりして、にぎやかに暮らしていました。

『マルタの鷹』に出合ってハードボイルド好きに。西部劇にも夢中になった

 私が通っていた汐見小学校は、新劇の奈良岡朋子さんや作家の吉本ばななさんも出た由緒ある学校です。学校はアパートと石塀を隔ててすぐ隣にあった。その塀は戦争中に壊れて穴が空いていたので、遅刻しそうになると穴をくぐって登校していました。

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source : 週刊文春 2023年11月30日号

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