吉田兼倶(かねとも)が創始した“唯一神道”は、彼の死後、半世紀ほど経ると、“新興宗教”特有のケレン味も消えて、次第に多くの人々の支持を獲得するようになっていった。兼倶の孫兼右(かねみぎ)、曾孫兼見(かねみ)の残した日記を開いてみると、戦国時代、吉田神社は全国の人々から篤い信仰を集めるパワースポットとしての地位をすっかり確立していたことが分かる。
初回登録は初月300円で
この続きが読めます。
有料会員になると、
全ての記事が読み放題
既に有料会員の方はログインして続きを読む
※オンライン書店「Fujisan.co.jp」限定で「電子版+雑誌プラン」がございます。ご希望の方はこちらからお申し込みください。
source : 週刊文春 2023年12月7日号