(かめぶちあきのぶ DJ、元ニッポン放送社長。1942年、北海道生まれ。64年、ニッポン放送入社、番組制作や編成業務をこなす一方、「オールナイトニッポン」パーソナリティを担当した。99年、ニッポン放送代表取締役社長就任。退任後はラジオDJとして活動を再開。「亀渕昭信のお宝POPS」が放送中。)

 

 先日、70年代にやった自分の放送を聴く機会があったんです。昔はスピード感が凄かったんだなあ(笑)。80歳になった時、お医者さんから「これからの人生はオマケですよ」と言われ、今はスロウにオマケを楽しむつもりでラジオの仕事や音楽雑誌の原稿書きなどを続けてます。

 黎明期の「オールナイトニッポン」パーソナリティとして活躍し、ニッポン放送社長も務めた亀渕昭信さんは1942年、北海道夕張郡由仁町に生まれた。

 僕は長男で2歳下にゴスペル歌手になった友香ともう1人妹がいました。淡路島で生まれ育った祖父が開墾のために北海道に渡り、由仁町川端で林業をはじめ、伐採した木を合板加工して売る仕事を始めたんです。戦後に、祖父から「戦争末期には特攻用飛行機の資材を供給していた。こんなんじゃ必ず負けると思っていた」って聞きました。

 敗戦を迎えた年、祖父は復興用の木材が売れると考えたんです。それで叔父に北海道の工場を仕切らせ、父に東京で販売を任せることにしました。だから僕は3歳で北海道を離れました。これがホントの「道三子(どさんこ)」です(笑)。

 上京してすぐ住んだのは杉並区の西荻窪にある母方の祖母の家でした。そこから近所の幼稚園に通いました。近くの畑に撃墜されたB-29の機体が放置されてたのを記憶していますよ。叔母はジャズ歌手のナンシー梅木と同期らしく、宮美子という芸名で進駐軍の将校クラブでジャズを歌ってました。僕の洋楽好きは叔母の影響が濃いですね。部屋にパティ・ペイジやローズマリー・クルーニーのレコードや譜面がたくさんありましたから、子守唄代わりにジャズソングに触れていたんです。

べらんめえの深川で過ごした10代、レコードに熱中。ニッポン放送入社後、ラジオや音楽を学びに渡米

 48年、私立暁星小学校へ入学、54年、千代田区立麹町中学校に進学する。

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source : 週刊文春 2024年2月15日号