朝起きてチャイを入れる。昼は野良仕事や薪集め、暗くなる前に風呂を焚く。|服部文祥

新・家の履歴書 第868回

稲泉 連
ライフ ライフスタイル

(はっとりぶんしょう サバイバル登山家。1969年、神奈川県生まれ。大学時代から登山を始め96年、カラコルム・K2登頂。99年よりサバイバル登山を始め、日本の大きな山域を踏破。『サバイバル登山家』など著書多数。2016年『ツンドラ・サバイバル』で梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。近著は『山旅犬のナツ』。)

 

 子供の頃はとにかく虫取りに熱中していたよね。俺が生まれ育ったのは、横浜市の左近山(さこんやま)団地というところでさ。当時は日本でも最も大きな団地群の一つで、間取りは「うさぎ小屋」と呼ばれた3K。両親と兄貴の4人で暮らしていた。

 あの頃は横浜の郊外の自然が、宅地開発で食い荒らされていく時期でしょ。でも、団地の周りには「平成狸合戦ぽんぽこ」みたいな雑木林が、まだけっこう残っていてね。夏が近くなってくるとノコギリクワガタやカブトムシ。秋はバッタやカマキリ。カブトムシはみんなが取り合って自慢し合うくらいいてさ。俺は虫取りが上手だったから、服にたくさんつけて、意気揚々と歩いていたものだよ。

 いま思えば、自我みたいなものが芽生えたのも、その虫取りがきっかけだったよね。小学5年生のある日、中学1年生の兄貴から「友達に虫が好きな奴がいるから、案内してやってくれ」と言われたんだ。朝4時に起きて、3人で雑木林の中に行った。そうしたら虫がたくさん取れて、感心した兄貴にこう言われたの。「おまえ、いつもこんなことしてたんだ」って。

 それまでは兄貴の背中をいつも追っかけるようにしていたから、少なくとも虫取りに関しては俺の方ができるんだ――そう思うと何とも誇らしくて、自分は兄貴と違う世界を持っているんだと自覚した瞬間だったよね。

 服部文祥さんは1969年、横浜で生まれた。できる限り燃料と食料を持たず、山を長く旅する「サバイバル登山」を提唱するなど、ユニークで先鋭的な登山を続ける冒険家だ。そんな彼が「山」と本格的に出会ったのは、東京都立大学の学生のときだった。

登山は素人にも開かれた世界。誰でもエベレストを目指せる

 中学の時はハンドボールを本気でやっていたんだけれど、とにかく大変だったのは、母親から高校受験の勉強をさせられたことかな。

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source : 週刊文春 2024年2月22日号

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