文春オンライン

松坂大輔と森本稀哲――1998年11月、僕は「焼肉 絵理花」の細い階段を上がった

文春野球コラム2020 90年代のプロ野球を語ろう

note

プロのマウンドを楽しんでいた「平成の怪物」

 が、最大の引き立て役は松坂大輔のデビュー登板ではなかったか。90年代、ファイターズは何度か優勝のチャンスをフイにし、98年ドラフトで3球団競合(横浜、西武、日本ハム)、松坂交渉権のハズレくじを引いた。その代わりと言っちゃ何だが、翌99年4月7日、デビュー登板は見事に当たったのだ。東京ドームだった。何と高卒ルーキーがファイターズ打線を見下ろして投げていた。この試合のVTRで何度も再生されることになる「1回裏、3番片岡の空振り三振シーン」。球速は155キロ。興奮した。「平成の怪物」はプロのマウンドを楽しんでいた。8回2失点で勝利投手に輝いた。僕はビジターの西武ファンが自軍の攻撃になると売店やトイレに立つ試合を初めて見た。普段と反対だった。皆、イニングの裏、松坂が投げるところが見たいんだ。

 もちろん西武所沢S.C.7階特設会場にも松坂大輔がいた。等身大の写真パネルとダイスケコーナー。99年新人王・最多勝受賞記念のフィギュアも展示されている。展示ケースをぶち破って以下同文(歯形つけません)。ルーキーイヤー、松坂は16勝5敗、防御率2.60の活躍を見せた。そこから3年連続最多勝だ。あぁ、くじが当たっていたら運命が変わっていた。僕は「松坂くんは日ハムに入れなかった運のない子」とうそぶき、くだんのデビュー戦でホームランをかっ飛ばした無名のワカゾー、小笠原道大に将来性を感じていた。

ダイスケコーナー。99年のデビュー登板は忘れられない。 ©えのきどいちろう

 そうそう、時は前後するが、98年ドラフトには忘れられない出来事がある。ファイターズは松坂の外れ1位で球団史上初めて高卒捕手の實松一成を指名した。2位以下、建山義紀、立石尚行……、と社会人が並ぶなか、もう一人、「松坂世代」の高卒内野手(!)、帝京高校主将の森本稀哲を4位で指名した。東京っ子だなぁ、楽しみだなぁと思っていたのだ。

ADVERTISEMENT

 そうしたらドラフト翌日、荒川区に住む日ハム馬鹿、M君から電話が入った。

「大変です。ドラフト4位の森本の家ってうちの近所の焼肉屋なんですけど、今日見に行ったら『日本ハム入団決定御支援感謝サービスデー』って貼り紙してありました。全品半額ですよ。はい、間違いありません。入団決定って書いてあります!」

 そりゃ行くしかないだろうという話になった。普段、東京ドームに集まってる連中で押しかけよう。場所は日暮里。僕んちからも30分かからない。駅前で待ち合わせて、ぞろぞろ歩いていった。現地に着いた。1階が喫茶店、細い急な階段を上がると「焼肉 絵理花」。今はもう閉店して何年も経って影も形もない。98年11月のあの晩、僕らはおっかなびっくり絵理花の階段を上ったのだ。

森本稀哲 ©文藝春秋

都会のオアシスになった「焼肉 絵理花」

 実はそのとき、階段を上る直前に撮った写真が出てきた。所沢までライオンズ70周年展を見に行った翌日だ。コロナ禍でスケジュールが空いて、部屋のかたづけをしていたら紙焼きの写真が出てきた。ひと目でわかった。初めて絵理花へ行った晩だ。僕は30代後半、「忍者」と書いたキャップをかぶっておどけている。「神出鬼没、野球忍者がプロ入り前の選手の実家に来ましたよー」というわけだろう。本当の馬鹿だ。

98年ドラフト直後、喜色満面で日暮里・絵理花の前に立つ筆者(野球バカ)。これから階段を上がります。 ©えのきどいちろう

 が、この馬鹿は記念写真の後、絵理花の階段を上る。そして、ヒチョリのお父さんお母さんと仲良くなり、店に足繁く通うようになり、行く度にファイターズ選手のサイン色紙だとか、小旗、写真、シール、グッズ等を持ち込み、壁に画びょうで留めていく。最初、フツーの「町の焼肉屋さん」だったものが半年後には手づくりの「焼肉ベースボールバー」みたいになった。コツコツやればできるもんだ。ついにできたんだよ、都会のオアシス。日ハムファン、パ・リーグファンが疎外されない店。

「忍者」キャップをかぶった98年11月の僕はまだ知らないんだ。細い急な階段を上ったが最後、半年後には森本さんちの親戚みたいな感情を持つに至り、お父さんと連れ立ってヒチョリの様子を見に行く(1年目は肩を壊して鎌ケ谷でバット引きをやっていた。その様子を見に行った)ことを。そしてヒチョリと實松、2人の「松坂世代」を身びいきして応援することを。トップランナーの松坂に挑む日を夢見ることを。

 まだ知らないんだ。初めて西武ドーム球場で「松坂vsヒチョリ」の対決を見た日、隣りの席のお父さんが緊張しすぎて呼吸するのを忘れることを。窒息死しそうになることを。四球を選び、「(ブハァー)勝った~」と一方的に勝利宣言することを。まだ知らないんだ。四球くらいのことで2人ともじんわり泣けてきたことを。

松坂大輔 ©文藝春秋

 あれから20年経った。ヒチョリはファイターズの優勝に貢献する好選手になって、引退し、今は人気解説者だ。が、松坂大輔はユニホームを着ている。今年はライオンズに松坂が帰ってきたんだ。これはさ、ベースボールドリームなんだよ。僕はもう一度、絵理花の階段の前に立てるんだ。松坂倒せ! ライオンズ倒せ!

  マイ石鹸を持ち歩いて、暇さえあれば手洗いするんでぜんぜん構わないよ。開幕がどれだけ遅れたって待つ。今は感染拡大を何とかして防ぐんだ。何月になったって構わないよ。色々あるけどさ、生き抜いてみせる。だって松坂とやれるんだぜ。公式戦の真剣勝負で松坂大輔とやれるんだぜ。

人気野球解説者、森本稀哲氏のプロデュースしたカップ麺。北海道限定発売です。 ©えのきどいちろう

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム2020 オープン戦」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/37056 でHITボタンを押してください。

HIT!

この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。

松坂大輔と森本稀哲――1998年11月、僕は「焼肉 絵理花」の細い階段を上がった

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春野球をフォロー
文春野球学校開講!