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1999年の井口資仁 思い出の一発を生んだ王監督からの“短いアドバイス”

文春野球コラム2020 90年代のプロ野球を語ろう

2020/04/02

 千葉ロッテマリーンズの監督を務める井口資仁の現役時代は中距離打者としてのイメージがある。一方で数々の本塁打も脳裏に刻まれている。2017年9月24日のファイターズ戦(ZOZOマリンスタジアム)。自身の引退試合で9回に見せた劇的な同点2ラン。2013年7月26日のイーグルス戦(Kスタ宮城 現楽天生命)では田中将大投手(現ヤンキース)から本塁打で2000本安打を華麗に達成してみせた。そんな井口の本塁打伝説は福岡でスタートした。1997年5月3日、22歳の時だった。

「怪我で出遅れていたからね。青学時代のチームメートで同じ年にプロ入りした清水(将海、現千葉ロッテマリーンズバッテリーコーチ)とかは開幕戦でプロ初本塁打とか打っていたし。みんな目立っていた。早く追いつきたいという焦りに近い気持ちもあった」

 注目のルーキーとして福岡ダイエーホークスに入団したが、オープン戦で右足首を捻挫。無念の開幕二軍スタートとなっていた。開幕から遅れること1か月。福岡ドーム(当時)での近鉄バファローズ4回戦で待ちに待ったデビューの日を迎えた。1打席目。バファローズ先発の山崎慎太郎のストレートを左前打。プロ入り初ヒットを放つと、迎えた4回の3打席目。今でもファンの間で語り継がれる伝説の打席に立つ。二死満塁。山崎のフォークをとらえると打球は広い福岡ドームの左翼席に突き刺さった。デビュー戦でのプロ入り初本塁打は衝撃の満塁本塁打となった。

「5月3日は縁があるんだよね。よく本塁打を打っているイメージがある日なんだ」

 本人が言うようにメジャー初本塁打もメジャー挑戦をした2005年の5月3日。シカゴでのロイヤルズ戦。3回二死一塁でアンダーソンから左越えに同点本塁打を打ち込んだ。 第1打席は左前打。第3、4打席は中前打と右前打で4打数4安打2打点の大活躍だった。

ダイエー時代の井口資仁 ©文藝春秋

井口監督が今も忘れられない2本の本塁打

 ちなみに福岡で数多くのアーチを重ねているが思い出深いのは福岡ダイエーホークスが初優勝をした99年に放った本塁打だ。

「印象深いのは2本。どちらも福岡で打った。僕の打ったボールがスタンド上空に飛んだ時のファンの空恐ろしいほどの歓声は今も忘れることはできない」

 1本目は99年9月8日のライオンズ戦。勝てば首位という大事な首位攻防戦。3-3の同点で迎えた9回裏の攻撃だった。前の打者が敬遠をされ一死満塁となった場面で打席に向かった。初球をファウルした後だった。突然、ネクストバッターズサークルにいた次打者が歩み寄り、ベンチからの伝言を伝えてくれた。それは王貞治監督からの短いアドバイスだった。

「トスバッティングのような感覚で打て」

 目の前で前の打者が敬遠をされて巡ってきた打席。気づかぬうちに力んでいた。その一言ですべてのイメージが湧いた。2球目を軽く振りぬくと打球は広い福岡ドームのセンターバックスクリーンに吸い込まれていった。サヨナラの満塁本塁打だった。

「周囲の人からはサヨナラ満塁ホームランの印象が残っていると思うけど、自分としては王監督からの一言が印象的な試合。力まず、トスバッティングのような気持ちで打つという感覚はその後も大事にさせていただいた」

 華やかな場面での派手な一発に沸いた試合。劇的な結末で球場が興奮のるつぼと化す中、指揮官が残した短い一言が井口の胸に焼きついて離れなかった。だからこそチームの指揮官という立場となった今、選手への短く的確なアドバイスを行う事を大事にしている。