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不気味な予兆

 自然とおじさんが母に付き添う機会が増え、我が家に顔を出しては夕食をともにしたり、時にはそのまま泊まっていくことも珍しくなくなりました。

 兄がいなくなって、あらゆる意味で「やりやすく」なったんでしょうが、当時の私はそのことにまったく気付いていなかった。

 むしろ「おじさんがいてくれれば、ママは死なない」と、どこかで安堵を覚えていたほどでした。

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 その頃のおじさんは、とても優しい人に見えました。

 おじさんは私を「なず」と呼び、私はおじさんをニックネームで呼んでいました。

 家にいる時は寝ているばかりだった父と違って、おじさんは一緒にゲームで遊んでくれたり、好きなアイドルの話なんかも「へえ~、そうなん」と相槌を打ちながら聞いてくれたりして。

 母からは再婚を匂わすようなことは一切言われなかったけれど、「もしもこのまま本当のパパになっても悪くないかも」と、思わないでもありませんでした。

 普通のお父さん像に憧れていた私にとって、いつしかおじさんは、父親の愛情「の、ようなもの」を与えてくれる存在になりつつあったんです。

 ただし、同時にモヤッとした違和感も、あるにはありました。

 おじさんが、我が家に泊まっていく夜の光景です。

 かつて両親が使っていた夫婦の寝室に当たり前のように入っていき、当たり前のように母とくつろいでいる。

 まるで10年も前から、ずっとそうしていたかのように。

 妙に馴染んだその姿に、「何かが違う」と強烈に感じたけれど、それが何なのか、10歳の私にはわからなかった。

 やがて、その正体を、文字通り「身をもって」思い知らされることになるのです。

著者の橋本なずなさん

悪夢は「こたつ」で突然に

 2010年も押し迫った、12月中旬のある土曜日。

 その夜、母とおじさん、私の3人はこたつで寄せ鍋を囲みました。

 週末のんびりくつろぐには、お鍋が一番。野菜やお肉を適当に切って放り込むだけだから準備がラクだし、体もあったまります。

 3人でアツアツの白菜や鶏だんごをつついて、他愛ない会話で笑い合って、締めのうどんも楽しんで。

 おじさんは缶ビール片手にほろ酔いで、上機嫌でした。

 どこにでもある一家団欒の風景に近いものやったと思います。

 やがてお鍋もすっかり空となり、こたつの上がきれいに片づけられた頃、

「そろそろ、お風呂入ってくるわ」

 母がこたつから抜け、リビングを後にしました。

 パタン、とドアが閉まる音がします。

 部屋には、おじさんと私のふたりきり。