文春オンライン

「100円で買い取った怪談話」で日本トップ10の音声番組に…尼崎で「怪談売買所」を開く男性店主の半生

source : 提携メディア

genre : ビジネス, ライフスタイル

note

「怖いものを見るのを止められたことはないですね。あんまり人前で言うなみたいなのはありましたけど、うちの親は寛容だったんです。友だちにも恵まれていました。僕ほど興味を持っていなくても、ホラー映画や矢追純一さんのイベントに一緒に行ってくれたりして。僕の趣味趣向を育んでくれる環境じゃなかったら、今の自分はなかったと思います」

鬱々とした社会人生活

小中高とどん欲に趣味を追求した宇津呂さんだったが、追手門学院大に通っていた学生時代、演劇に目覚めて役者を志す。

大学卒業後、大阪で役者の勉強を1年してから、上京。土地勘もなく、家賃が安かった埼玉県川越市にアパートを借り、医療機器の製造をしている工場でアルバイトをしながら、演劇に情熱を傾けた。半年後には工場に就職し、会社員として勤めながら夢を追う生活だった。

ADVERTISEMENT

しかし、納得いく成果を出せず、4年で役者の道を諦め、尼崎に帰郷。失業中の職業訓練でパソコンインストラクターの資格を取り、1年ほどアルバイトをしてから、大阪のパソコン教室で働き始めた。安月給で、拘束時間も長く、上司からは「残業するのは仕事ができてへんからや」「仕事はこれが当たり前や。自分で責任持ってやりなさい」と責められる。

鬱々とした毎日を送っていたある2007年のある日、当時付き合っていた彼女が「こんなんあるよ」と教えてくれたのが、「実話怪談コンテスト【超-1】」だった。新しい書き手による「本当に起きた怖い話」を求めていて、トップ10に入る評価を得た書き手のストーリーをまとめて書籍化するという内容に、宇津呂さんの心は動いた。

社会人になってからも「怪奇趣味」は変わらず、書籍を買い集め、オカルト番組を録画していた。彼女がコンテストの話をしたのも、それを知っていたからだ。しかし、この時は仕事があまりにも忙しく、「とてもじゃないけど、怪談を集めて書くなんてできない」と、参加を見送った。日を経るにつれて、この決断を悔やむようになった。