2008年末、自信を持って臨んだオーディションに、見事合格。しばらくして、主催の怪談社から「4月にあるライブに出ないか?」とオファーを受けた。断る理由はない。
「実話怪談コンテスト【超-1】」にも、もう一度参加することを決めていた宇津呂さんは、ここからなにかにとり憑かれたかのように、怒涛(どとう)の勢いで怖い話の収集を始めた。なりふり構わないその姿はまるで、怪しげなビジネスに手を染めたようだ。
「小中高大学までの名簿を見て、全員に電話をかけました。久しぶり、これこれこういう事情で怖い話を集めてて、なんかそういう体験ない? って。事情は正直に話しましたけど、やっていることはねずみ講の勧誘みたいなもんです(笑)。でも、なかには面白い話を聞かせてくれたり、知り合いを紹介してくれたりした人もいました」
2009年4月19日、36歳で怪談師デビュー。初舞台は、散々だった。
「お客さんは50人ぐらいいました。もう思い出したくもないですね、舞い上がってしまって。後から振り返ったら恥ずかしいことばっかりしてて、あちゃーですよ」
本人としては納得いかない出来だったが、その姿からなにかを感じた人たちもいたようだ。同じ舞台に立った落語家で、毎月奈良で怪談ライブをしている笑福亭純瓶さんからは、「うちにも来て」と誘いを受けた。さらに当日、観客としてきていた京都の怪談師、雲谷斎さんとも知り合い、「うちにも出て」と声をかけられた。
こうして怪談社、笑福亭純瓶さん、雲谷斎さんの舞台に呼ばれるようになり、宇津呂さんは怪談師としてのキャリアを歩み始めた。
「怖い経験、ありませんか?」と声をかけ続ける
怪談師デビューの同年、「実話怪談コンテスト【超-1】」に再び入選し、傑作選に収録。しかし、大好きな怪談の世界にどっぷりと浸かって幸せいっぱい……とはいかなかった。怪談ライブはコアなファンが多いので、何度も同じネタを使いまわすわけにはいかない。どんどん新しいネタを仕入れないと、追いつかない。