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「クソミソです。ケチョンケチョンです」原節子が小津映画の「紀子役」に抱いていた“ある不満”とは〈小津安二郎生誕120年〉

『原節子の真実』より#1

2024/01/29
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「小津によって原節子は開眼した」と評価されたが…

『晩春』は公開されると、批評家から絶讃される。小津は、前二作の不評を『晩春』で一挙に覆した。現在へと続く小津の名声は、この作品から始まっている。

『お嬢さん乾杯!』『青い山脈』で沸騰した節子の人気と評価もまた、この『晩春』で決定的なものとなった。「ついに小津によって大根・原節子は女優として開眼した」といった言葉の数々が見られたが、節子自身はこういった評価のされ方には内心、強く不満を抱いた。

 黒澤明からは現場で激しく演技指導を受け、時には涙を流したほどだった。だが、小津から演技指導を受けてはいない。自分は自分の半生を通して身につけた演技で小津に応え、それが評価されたまでのことと本人は思っていたようである。

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紀子という人物像に好感を持ってはいなかった

 加えて、自分が演じた紀子という人物像にも好感を持ってはいなかった。親の言うことを聞いて見合い結婚を選んで生きていく。節子には自我の足りない女と映ったからだろう。節子は、『わが青春に悔なし』『安城家の舞踏会』『お嬢さん乾杯!』は好きな作品だったとしたうえで、『晩春』については公開前も公開後も、こう語っている。

〈そういう意味で今度の『晩春』の役も私には一寸(ちょっと)割り切れないものがあって演り難い役です〉『キネマ旬報』昭和24年7月1日上旬号)

〈この映画の娘の性格は私としては決して好きではありません〉(『平凡』昭和25年12月号)

 黒澤の『わが青春に悔なし』に出演し、社会に立ち向かい自立を貫くヒロインを演じた直後のような、晴れやかさや高揚感はなかった。それなのに作品に対する評価は高い。

 昭和24年(1949)、『キネマ旬報』ベストテンでは1位が『晩春』、2位が『青い山脈』、6位が『お嬢さん乾杯!』だった。節子はこれらの作品での演技が認められ、 はじめて毎日映画コンクールで女優演技賞を受賞する。

「クソミソです。ケチョンケチョンです」

 この結果から誰もが、節子は小津に感謝しているものと思い込んでいた。ところが、彼女はどこまでも小津映画に対して、小津映画における自分の評価に対して冷やかだった。一番信頼しているのは家族の批評だとして、こう語っている。

〈姉が昔脚本書いておりました。それから熊谷という義兄が監督ですし、私の実兄がキャメラマンをしております。そういう3人にきき、3人の意見が一番一致したのが「お嬢さん乾杯!」でしたけれどもね。(中略)私の仕事の中ではまあマシな方でしょうといわれたのです。(中略 家族の批評で)「晩春」はクソミソです。ケチョンケチョンです〉(『日本評論』昭和25年10月号)

 照れ隠しで述べたとは思えない。これが彼女の本心なのだろう。『お嬢さん乾杯!』が一番気に入っていると、ことあるごとに語っている。

映画『お嬢さん乾杯!』(1939年公開)

 女優たちは一般に、有名監督に起用されようとしてあらゆる努力をする。気を遣い、時に媚びる。それが名匠であればなおさらのこと。だが、節子にはそれがない。彼女のこうした発言は、女優として極めて異例である。

 思ったことをそのまま口にする、相手が誰であろうと変わらない、彼女のプライドの高さと自負が感じられる。

 日本社会全体を見渡せば、前年の昭和23年(1948)からGHQの対日占領政策が明らかに変化していた。24年の夏には下山、三鷹、松川事件が相次いで起こり、日本共産党や労働組合に対する締めつけがいっそう強まっていった。

 そんな不穏な年にスクリーンのなかで、節子はまばゆい輝きを放ったのである。だが、この頃すでに彼女の健康は蝕まれていた。

原節子の真実 (新潮文庫)

原節子の真実 (新潮文庫)

妙子, 石井

新潮社

2019年1月27日 発売

「クソミソです。ケチョンケチョンです」原節子が小津映画の「紀子役」に抱いていた“ある不満”とは〈小津安二郎生誕120年〉

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