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僕は深夜のオフィスで“令和”を迎えた――平成パワハラ世代は、新時代を生き延びられるのか

2024/05/01
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 テストの点数や内申点をまるでゲームのように積み上げて競争に勝つ。そうすることで親から褒められる。メダルやトロフィーの数こそが人生の順調さの代理指標になる。大きくなってからもそれは変わらない。何をやりたいかよりも偏差値の高低で大学を選び、ネットに流布する「就職難易度ランキング」みたいなもので就職先を選び、入社後も「この部署がエリートコースらしい」みたいな噂を信じて配属希望先を選び……。

 その競争の過程で脱落し、文字通り「潰れて」しまった人もいる。その中には、そもそも馬鹿げた競争に参加することを望まなかった人もいるだろう。当人の意思に関係なく、あらゆる人を競争に巻き込み、消耗させてゆく壮大な機構。それが、少なくとも僕にとっての平成だったし、幸いにも僕はその機構の中で生き残り、成果を出すことが得意なようだった。だからこそ、誰かが決めたルールの中で終わりのない競争を続けるうちに、幸せになるための手段であるはずの競争に没頭し、いつしか競争で勝つことでしか幸せを感じられなくなっていた。

「正しいことをしていたい」Z世代の若者たち

「もう、そういう価値観は古いんですよ」

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「学歴とか、タワマンに住むとかいうことに魅力を感じない」

「地方が面白くなってきてるのに、東京にしがみつく気持ちが分からない」

 1冊目の本を出して少し経った頃、そんな論を得意げにぶつけてくる人たちと出会った。「Z世代代表」みたいな殊勝な肩書を自称して、ネットの討論番組なんかによく出ているような若者たち。彼らよりも10歳近く年上の僕はきっと彼らにとって、打倒すべき老害世代の象徴のように映ったのだろう。

「では、最近の若者たちの間ではどんな価値観が流行っているのですか?」と、僕は素直に尋ねてみた。タワマン文学と呼ばれる、若者たちが東京で不幸になる話ばかりを当時は書いていたから、インタビューで「東京の若者はどうすれば幸せになれますか?」とよく聞かれていた。しかし、僕はどういうわけか、その問いに上手に答えることができないままでいる。もしかすると、もう平成世代には救済の道はなく、代わりに令和の若者がそれを持っているのかもしれないと、僕は内心期待していたのだ。

「そう言われると……」と、しかし彼らは言い淀んだ。よくよく考えると、目の前にいる自称「Z世代代表」たちは慶應や早稲田に通い、東京の安くない家賃のマンションに住み、翌週もまたネットの討論番組に呼ばれるために他のコメンテーターたちに噛みついたりしている……。それは紛れもなく競争と消耗だった。僕たちとまるで同じじゃないか。それなのに彼らはなぜ、ああも「自分たちは正しい答えを持っている」とアピールするのだろうか?という疑問が、失望とともに残った。