2019年5月1日深夜0時。「令和元年」が始まる記念すべき瞬間を、僕はほとんど人のいないオフィスで迎えた。翌日の夕方に重要な経営会議が控えていたため、僕の所属するチームは翌朝に役員たちが出社してくるまでに資料を完成させる必要があったからだ。当時、そのチームはいくつものプロジェクトを抱えていたので徹夜も珍しくなかったし、ブラインド越しに青々しい朝日が差し込む中、役員の机に資料を置いて回りながら「これじゃまるで朝刊だな」と、チームメンバーたちと自虐して笑う余裕すらあった。

「働き方改革」後も、生活は何も変わらない

 その日も、僕を含むチームメンバー4名は午前5時まで作業して資料をどうにか完成させ、朝刊を配り終えると「令和もよろしく」と冗談を言い合ってタクシーで帰宅していった。

「何も変わってないじゃないか」と呟いて、僕はタクシーの中で小さく笑った。数年前には過労を原因とした痛ましい事件が起き、世の中のあちこちで「働き方改革」が叫ばれていたけど、しかし少なくとも僕は、日本経済の弱々しい回転をせめて止めないために連日朝まで働いている。ここ数年の間に僕の周囲で生じた変化といえば、人が少しずつ「消えてゆく」ことくらいだった。苛烈な労働に耐えかねて、同僚がひとりずつ体か心を壊し、オフィスから消えてゆく。欠員を埋めたところでどうせすぐに潰れるから補充もされなくなり、あとは生き残った精鋭というか、心の麻痺した人たちだけがチームに残り、いなくなった人たちへの呪詛を楽しそうに吐き合いながら朝まで働く。その繰り返し。

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平成生まれは”競争の子”

「遅くまでお疲れ様です」と運転手に言われて、「ほんとにそうですよ」と、タクシーを降りながら僕はまた小さく呟いて笑った。シャワーを浴びて、少しだけ仮眠を取って、数時間前まで着ていたものとは別のシャツとスーツを身に着けて出社をして、役員たちに資料説明をして回って、また資料を直して……。自宅のマンションの扉を開けると、1Kの部屋の大きな窓から朝日がさらさらと差し込んでいた。その場違いな美しさに優しく照らされたとき、僕の平成は永遠に終わらないのだという残酷な予感がした。

 僕だけではない。僕たち平成のはじめに生まれた子たちはみな、競争の子だ。バブルの弾けたあとの経済的焦土で、せめて自分だけはどうにか幸せになろうとして、「ナンバーワンにならなくていい」という優しい歌のメッセージを素直に信じた同級生たちを置き去りにして、少しでも遠くへ、少しでも良い場所へと走り去っていったズルい子どもたちの成れの果て――それがきっと、僕たちの正体であるに違いない。