令和の「正しさ」の先に幸せはあるのか
「この本はハッピーエンドなの?」と、ある友人から聞かれ、僕は「分からない」と答えた。本書は、心に小さな傷を抱えたひとりの青年が、自分なりの方法でそれを治癒すべく走り回り、その過程で他の人たちの、また別の種類の傷にまみれた人生を覗き見る小説だ。彼が至る結末は、彼にしか理解し得ない至高の幸福とも読めるし、廃墟のようなおぞましい不幸とも読める。著者である僕すらも、彼の胸の裡を完全に理解することはできない。
移りゆく時代と正しさの中で、少しずつ心の形が異なる人たちが美しく整えられた場所に押し込まれ、時に傷付け合い、時に救い合う。そんな何重もの複雑性の末に、僕たちの人生は不格好に形作られてゆく…… 結局、僕は「東京の若者はどうすれば幸せになれますか?」というインタビュアーたちの問いに対して、いまだ答えを見つけられていない。しかし、それでいいと思っている。たったひとつのことで全てが解決できるほど、人生は単純ではない。僕たちはきっと、悩み、惑い、苦しみながら人生を走り続けるしかないのだろう。その過程で誰かを傷付け、あるいは誰かから傷付けられたとしても。
迷走こそが若さだ。若さを喪ったとき、君の足は永遠に動かなくなる。流山おおたかの森あたりに戸建てを買って、草食動物のような穏やかな目をして、愛しいパートナーや子供とともに大量生産品みたいな暮らしを始める。それだってきっと、幸せなことなのだろう。しかし、若い僕たちはもっと遠くへ、もっと幸せな場所へ辿り着けるかもしれない。ここは大きな競馬場だ。若さと、そしてそれに伴う悩みや苦しみを自らへの掛け金として、一生に一度のレースを君は走るのだ。
さぁ、走れ。若さが尽きないうちに。君が行きたい場所へ、行くべき場所へと、息を切らして走れ。たとえ君が行き着く先が、今よりもひどい荒野だったとしても。そんな馬鹿げたことはしたくない、と真っ当なことを考えたところで、どうしようもなく湧き上がる自らの人生への過大な期待が、どうせ君を駆り立ててしまう。「成功できるかどうかは生まれた時点の親ガチャで決まってる」「必死で努力しなければ幸せになれない社会構造が悪い」だとかいう、正しい声に耳を貸すな。せめて君自身の足で若さを、無駄な期待を踏み殺せ。迷走の苦しみは、残念なことに若者の義務なのだから。だから走れ。賢すぎる君が、人生の可能性を知り尽くしてしまって、もう二度と走れなくなってしまうまで。
麻布競馬場(あざぶけいばじょう)
1991年生まれ。慶應義塾大学卒業。 2021年10月にTwitterに小説の投稿を始めて以降、匿名アカウント「麻布競馬場」として活動。東京に疲弊し、それでも東京に生きることをアイデンティティとせざるを得ない人々をシニカルに描きだす作品は、「タワマン文学」として多くの支持を集めている。22年9月、ショートストーリー集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』を刊行。 24年2月、「別冊文藝春秋」連載の連作短篇をまとめた単行本『令和元年の人生ゲーム』を上梓。