「シン・ゴジラ」が熱い。公開直後からネット上では「凄すぎて泣いた」(一般人)「ここ10年ぐらいの邦画のナンバーワン」(評論家・宇野常寛氏)など絶賛の嵐。一方で「日本人=日本国家への信頼と鼓舞ばかりが語られ、不気味だった。ニュータイプの国策映画だ」(批評家・杉田俊介氏)など、作品の「右傾化」を批判する論調も少なくない。
要するに、観た人の多くが「オレはこう思う!」と熱く語り始めたくなるような、日本人にとって切実な問題提起、深い謎かけをしている映画なのだ。
私自身、仕事をさぼって公開初日の朝9時から鑑賞したが、正直打ちのめされるような思いを味わった。「今、日本でゴジラを作るとはどういうことか」「怪獣映画を、極上の大人向けエンターテインメントに仕立て上げるには何が必要か」ということを、庵野秀明総監督を始めとする作り手たちが考え抜き、持てる限りのアイデアと力を注ぎ込んだことが、画面の隅々から伝わってきたからだ。映画作りと物書き。ジャンルは違えど「自分はこれほど誠実に仕事に取り組んできただろうか」と、考え込まざるを得ないほどの衝撃だった。
ネットで話題の「蒲田文書」に感じる気迫
ネット上では、ゴジラが大田区蒲田に上陸して群衆が逃げ惑うシーンを撮影する際、スタッフがエキストラたちに配布した説明文、通称「蒲田文書」が話題になっている。
「皆さま、本日は各々方の想像力を目一杯稼働させていただき……、皆さまお一方お一方にしか出来ないお芝居をしてください」「この映画を1ミリでも質の高い映画にするために、何十年、百年単位で語り継がれる映画にするために、皆さまのお力をお貸しください」。多少の暑苦しさはあるものの、作り手たちの気迫がにじみ出た文章と言えるだろう。
そもそも、1954年に公開された第一作の「ゴジラ」こそ、一般の大人向けに作られ、記録的な大ヒットをした作品だった。
圧倒的に強大で異質な存在が突然現れ、自分たちの住む街を、社会を蹂躙し、日常生活を破壊し尽くす。私たちはそれに対して為す術もなく逃げ惑うか、立ち尽くすしかない――。その絶望感と無力感を観る者に体験させることが、初代ゴジラのすごさであり、当時の日本人にはそんな物語を求める切実な時代背景があった。先の戦争における大空襲や原爆投下の体験、水爆実験による第五福竜丸の放射能汚染事件、そして冷戦下での核戦争への恐怖……。
逆に言えば、「怪獣」という徹頭徹尾荒唐無稽な存在が、生々しいリアリティーをもって人々から受け入れられるのは、極めて特殊な状況下に限られる。戦争の記憶が薄れ、冷戦が終結する中で、怪獣映画が子どもや一部のマニア向け作品へと退行していったのも、自然な流れだろう。
「メルトダウンした原発」を象徴している今回のゴジラ
だが、「シン・ゴジラ」を見て実感させられたのは、私たち自身が今、「怪獣映画をリアルに、生々しい物語として体験できる日本」に、いつの間にか引き戻されていることだった。
言うまでもなく、それをもたらしたのは、東日本大震災と福島第一原発事故だ。1、2、3号機の炉心が溶け落ち、1、2、4号機が爆発した2011年の3月半ば、私たちは一切の誇張抜きで「福島以西の東日本全域で、人が住めなくなるかもしれない」という危機に直面していた。それを何とか避けられたのは、いくつかの「幸運という名の偶然」が重なったからに過ぎない。
4基の原発はまさに「放射性物質を吐き出しながら荒れ狂う4匹の怪獣」であり、私たちに為す術はほとんどなかった。当時感じていたが、いつの間にか忘れつつあった絶望感や無力感。それを「シン・ゴジラ」は生々しく甦らせるのだ。
最初のゴジラは空襲や原水爆のメタファーだったが、今回のゴジラは一貫して「メルトダウンした原発」を象徴している。それは「暗喩」というつつましいレベルではなく、「ゴジラの背中にそう書いてある」と言っていいほど、あからさまで大胆なものだ。
そして、邦画史上最大規模という328人(ゴジラの動きを演じた野村萬斎を含めれば329人)もの俳優を動員したのは「ゴジラという『虚構』を使って、原発事故当時の日本の『現実』をまるごと再現する」という作り手の強い意思の表れだろう。映画のコピー「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」とは、そういうことだったのだ。
「あの頃の日本と自分」に向き合える作品
これほど野心的で挑戦的な日本映画が、近年あっただろうか。これこそ、「3.11」後、潜在的にはずっと求められていたが、誰も作り得なかった「新たな国民映画」ではないか。「ゴジラ」という巨大なウソを映画として完璧に成立させるには、その対立項として、それほど大きく重い現実が必要だった、という見方もできるし、逆に「ゴジラ」という虚構のクッションを挟むことで初めて、私たちは「あの頃の日本と自分」に正面から向き合える機会を得られた、とも言えるだろう。
「箱庭療法」と呼ばれる心理療法がある。心に傷を負った患者が、砂の敷かれた箱庭の上で様々な玩具と戯れることで、自分自身の内面の葛藤を象徴するさまざまな「物語」を紡ぎ出し、治癒に至る、というものだ。例えるならば「ゴジラがいる世界」とは、日本人が自らのトラウマを象徴的に表現し、それと向き合うための「箱庭」のような存在ではないだろうか。
そして「箱庭」を成立させるには、ゴジラをいかに恐ろしく、禍々しく、「現実離れしているがリアルな存在」として描けるか、ということが鍵になる。
初代の「ゴジラ」が上映された当時、ゴジラが最初に島の陰からぬっと顔を出すシーンでは、映画館の前の席の客から後ろの席の客へと、順番にのけぞっていったという。当時の観客にとって、ゴジラはまったく未知の恐ろしい存在だったが、現代の日本人にとってのゴジラは、見慣れた愛すべきキャラクターだ。それをいかにして「非日常的な脅威」へと再生させるのか。作り手たちはそのために、あらん限りの知恵を絞り、あっと驚く様々な仕掛けを用意している。
それらは是非、劇場で自ら確認して欲しい。2014年のハリウッド版「ゴジラ」では、劇場であくびをかみ殺すのに苦労した私だったが、「シン・ゴジラ」ではぽかんと口を開けて見入ってしまうシーンがいくつかあった、とだけ言っておこう。
ゴジラに立ち向かう「生身の現場の人間たち」
映画は基本的に「現実の冷徹なシミュレーション」に終始しているが、作り手が例外的に共感を隠さない現実の人々が、高濃度の放射能汚染の中、原発を冷却する決死の放水作戦を敢行した自衛隊員、消防隊員たちだ。クライマックスの対ゴジラ作戦が、この放水作戦への熱いオマージュとなっていることは、誰の目にも明らかだろう。
怪獣映画で難しいのが、「いかに事態を収束させるか」という幕引きだ。初代ゴジラでその役割を果たしたのは、水爆をも超える威力の兵器「オキシジェンデストロイヤー」だった。広島・長崎に原爆が投下されたわずか7年後に、原爆をはるかに上回る威力の水爆が開発された当時にあっては、その設定には十分な説得力があった。
だが、現代の現実の再現を目指した「シン・ゴジラ」に、超兵器の登場はあり得ない。その代わりにゴジラに立ち向かうのは「生身の現場の人間たち」なのだ。
原発事故という悪夢のような現実の中にあった私たちが、いかに放水作戦を固唾をのんで見守り、無名の隊員たちの献身に胸を熱くしたか――。映画を通じてその記憶を甦らせた私たちは、ゴジラという虚構の悪夢に対抗できるのもまた「無名の人々による無償の献身」しか有り得ない、という作り手たちの主張に、深く納得させられるのだ。