強豪校の野球部といえば、厳格な上下関係がつきものだ。しかし、敦賀気比高校時代に吉田正尚の1学年後輩だった西川龍馬(現オリックス)は、「正尚さんは壁がない人で、先輩面やいわゆる“シバキ”は一切なかった」と振り返る。

 続けて、西川は吉田の本質についても証言を続けた。奇しくもそれは、妻・ゆり香夫人が口にしていた人物評とまったく同じだった。

 後輩・西川の証言から見えてきた、吉田正尚の“素顔”とは。同氏と親交が深いノンフィクション作家長谷川晶一が吉田の素顔に迫った書籍『決断ーカンボジア72時間ー』(主婦の友社)の一部を抜粋して紹介する。

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後輩・西川龍馬から見た吉田正尚

 91年生まれの山田修義と入れ替わりで敦賀気比高校に入学したのが94年生まれの西川龍馬だ。93年生まれの吉田とは1学年違いの後輩である。

 敦賀気比高校から王子製紙を経て、15年ドラフト5位で広島東洋カープに入団した西川は、FA移籍によって、24年からはオリックスの一員となっていた。吉田はすでにアメリカに渡っていたため、オリックスではチームメイトとはなれなかったが、ともに過ごした高校時代の2年間については鮮明に記憶していた。

「正尚さんのことは高校入学前から知っていました。敦賀気比への入学が決まって、いろいろ調べていくうちに、その存在を知りました。最初は映像で見ただけだったので、“1年上にすごい人がおるな”って印象でした。実際に初めて生で見たときには、“意外とちっちゃいんだな”というのが第一印象。でも、よく見ると胸板とか肩幅とかあるし、“ガッチリしている人だな”と感じましたね」

 先に述べたように、2学年先輩の山田は「右にも左にも打てるバッター」と吉田を評した。一方の西川が抱く吉田のイメージは「ホームランを打つバッター」だという。

吉田正尚 ©文藝春秋

「当時の正尚さんは2年生でしたけど、試合に出ればいつもホームランを打っていたというイメージです。ずっと、僕が前を打って、その後が正尚さんだったんですけど、相手バッテリーはなるべく僕で勝負するようにしていました。だから、この頃になると相手チームはいつも正尚さんとの勝負を避けていました。それでバッティングの調子を崩すことも増えていきましたね」

 西川には、ぜひ聞きたいことがあった。吉田が高校2年、西川が1年時の秋の北信越大会についてだ。

 2010年10月24日、富山・魚津桃山運動公園野球場で、秋季北信越大会準々決勝が行われた。石川代表・金沢高校と、福井代表・敦賀気比高校との一戦である。