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「誰かに聞かれたら、『自分でぶつけた』と言いなさい」

「東京湯島・金属バット殺人事件」は非常に悲しい事件ですが、家庭内暴力に苦しんでいる人々にとっては、決して他人事だとは思えないでしょう。

 少なくとも現代の日本において「家庭の問題は、家庭内で解決すべきもの」だという認識が強すぎるような気がします。

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 兄に殴られて顔に大きなアザができたとき、母は私に「誰かに聞かれたら、『自分でぶつけた』と言いなさい。みっともないから」と言い、家庭内で暴力が起きていることを誰にも知られないように振る舞うことを指示しました。母にとっては息子による家庭内暴力は「恥」であり、外に持ち出すべき問題ではなかったのです。私もその言いつけを守り、誰にも相談ができないまま、長期的なトラウマにより発症した精神疾患を抱えたまま大人になりました。

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 今思えば、私と母は、家庭内暴力の被害者を保護する施設やシェルターに逃げ込むべきだったのだと思います。報復を受ける可能性があったとしても、それも含めて専門家の指示を仰ぐべきだったのだと思います。

「家庭の問題を家庭で解決すること」には限界があります。しかし、問題を外に持ち出したからといって解決が簡単であるかというと、現状はそうではないと思います。

少年による家庭内暴力 認知件数の推移(平成29年版「犯罪白書」より)。
なお、平成28年における家庭内暴力事件の対象を見ると、母親が1,658件(62.0%)と最も多く、次いで、家財道具等が362件(13.5%)、父親が253件(9.5%)、兄弟姉妹が218件(8.1%)、同居の親族が175件(6.5%)であった(警察庁生活安全局の資料による)。

世間的な認識では「家庭内の問題」の範疇を超えていない

 実際、家庭内暴力による被害を警察に届け出た際、まともに取り合ってもらえず「兄弟同士の喧嘩」だと処理されてしまったケースがあります。これは非常に深刻な問題で、家庭内暴力に苦しむ人々にとっては絶望的なことです。加害者と被害者がたまたま家族だというだけで「暴力を受容し、自分たちだけの力で解決すること」を世間が強要するなど、本来はあってはならないのです。

 家庭内暴力は、立派な罪になり得ます。しかし世間的な認識では、依然として「家庭内の問題」の範疇を超えていないし、黙殺されているのが現状ではないでしょうか。

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 家庭内暴力を解決するためには、家庭内暴力が社会的な問題であると世間に広く周知されること、そして被害者を保護するシステムが構築されることが必要です。

 家庭内暴力は、家庭内で解決できる問題ではありません。「家庭の問題は、家庭内で解決すべき」という風習は被害者にとって、逃げ場を奪われ、心身ともに追い詰められるものでしかありません。

「追い詰められた結果、家族を殺してしまうこと」が家庭内暴力の唯一の解決策であってはならないのです。