プロ野球選手にとっての“商売道具”であるグラブやバット。現役引退後、それらの野球用品を扱う“道具のプロ”に転身したのが、埼玉県戸田市にある野球用品専門店「ロクハチ野球工房」の代表を務める宇佐美康広(うさみ・やすひろ)だ。

 プロ野球選手から野球用品店の店長へ。きっと現役時代も人一倍道具にこだわりを持っていたのだろう……。そう思い宇佐美に尋ねると、笑顔で「そうでもなかったですよ」と否定された。

「現役時代に、他の人よりここをこだわった……というエピソードはないですねえ。一打席ごとに新品の手袋に変えたり、一度履いたストッキングは絶対に履かない、という方もいましたが、僕は全然。メーカーさんが持ってきてくださるグラブの中から『一番いい!』と感じたものを試合用にするぐらいで」

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野球しかできない人と思われたくない

 1993年のドラフトでヤクルトから6位指名を受け入団したが、自身のポジションである捕手には古田敦也が君臨。在籍7年間で1軍出場は15試合に止まり、2000年シーズン終了後にユニフォームを脱いだ。
 
「『野球しかできない人』と思われたくない、という気持ちが強かった」と、引退後は不動産の営業マンに転身。“元プロ野球選手”という肩書きも自ら語ることは極力避けた。ガムシャラに働き、気づくと名刺には役職も加わっていた。プライベートでは結婚、子宝にも恵まれるなど、公私ともに充実した「第二の人生」。そこに不満はなく、この時点では『もう一度野球で身を立てよう』という思いは芽生えていなかったが、愛息が野球を始めたことが大きな転機となる。

 我が子を見にグラウンドへ出向くと、「元プロのアドバイスを聞きたい」とチームの父兄から声をかけられることが増えていった。そうして、息子が小学5年生になるタイミングで監督に就任。ノックバットを振るい、子どもたちと白球を追うと、「やっぱり野球はおもしろい」と自身のなかで燻っていた“野球愛”に気付かされた。

「少年野球の現場に携わった際に、周囲の方々がすごく喜んでくださいました。そこから『野球界で自分の経験を伝えることが自分の役目なのでは』と感じるようになったんです。野球を通じての社会貢献、野球界への恩返しをしたいな、と」

 再燃した「もう一度野球で勝負したい」という情熱。そして、野球で生計を立てる方法を模索し始めた。

元ヤクルトの宇佐美康広氏 ©井上幸太

新しい世界が開けた瞬間

「『何か方法はないのか』と考えていたときに、池山(隆寛)さんを通じて、現役時代から親交のあったドナイヤの村田裕信社長に相談させていただきました。『新小岩にドナイヤの取扱店があるから、一度見てみるといいよ』とアドバイスをいただいて。実際に足を運んでみたんです」

 村田氏の紹介で、東京・新小岩にある野球用品店「野球工房9」を訪問。整然とグラブが並ぶ店内を見たことで、宇佐美のなかに新しい世界が開けていった。

「営業しているお店を実際に見て、『グラブの販売をメインにする専門店で生計を立てていくことが可能なんだ』と具体的なイメージが芽生えました。そこから、野球工房9さんのご厚意もあり、加工の技術を学ばせていただきました」

 店のウリのひとつである「湯もみ型付け(グラブをお湯に浸し、曲がりグセやボールが収まる部分の革を伸ばす技術)」を学び、2016年12月にオープン。都内ではなく、埼玉・戸田を出店場所に選んだ。

「村田社長から『宇佐美くんの店なら』とお言葉をいただいて、ドナイヤを取り扱わせてもらえることになったんです。当時、埼玉にはドナイヤ取扱店がなく、『県内初のドナイヤ取扱店』という看板は大きな宣伝になるだろう、と見込んでのことでした。いいタイミングで現在の物件を見つけることもできたので、ここで勝負しようと」

 オープン当初は、ドナイヤ、SSK、久保田スラッガー、ハイゴールド、ロータスブルームの5メーカーを取り扱った。現在は、ハタケヤマ、アトムズ、JB(宮崎和牛)、ベルガード、ワールドペガサスを加えた10社の商品が店頭に並ぶ。所謂大手メーカーは少なく、“通好み”なラインナップだ。

「私が実際に触れて、『お客さんに使ってほしい!』と感じたメーカーさんの商品を並べています。大手にも素晴らしい商品はありますが、取り扱う他店も多い。『ロクハチだから買える』とお客さんに思ってもらいたい、という思いもあります」