もはや1月の風物詩となりつつある。「修羅の国」「ド派手」といった形容とともにネット上で写真が大量にアップされる。

 北九州市の成人式の話だ。絶滅種にも見えるヤンキースタイルの袴・着物姿の若者で知られる。

 当日、現地に行ってみた。筆者にとっての郷里でもある。東京で「北九州出身です」と名乗ると、時折「あの成人式の!」と言われ、気になっていた。いったい彼ら・彼女らはどんな人たちで、なんでそんな格好をするのかと。

ADVERTISEMENT

 約20年前、筆者(かなり中途半端な大学生だった)が北九州市で成人式を迎えた際にも、“怖いカッコの同い年”は存在した。とにかく関わらぬように、自分の友人たちとの再会を楽しんだものだ。

 今回、その生態を垣間見るために、ひとつ参考文献に目を通した。話をするにも何か軸が必要だった。まあ正直ちょっと怖いし。

彼らは「マイルドヤンキー」なのだろうか?

 その書籍とは『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(幻冬舎新書)。2014年に博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーで、マーケティングアナリストの原田曜平氏が記した名著だ。

 原田氏はここで最近のヤンキーを「マイルドヤンキー」と定義する。不景気など社会状況の変化により、過去との違いが生じた。

 一部かいつまんで紹介すると、

昔「上京(都会)志向」→今「とにかく地元から出たくない。中学までの仲間との繋がりが最優先」

昔「反社会的行動」→今「安全志向」

昔「バブル期に“金の亡者”だった親への反発」→今「親と仲がいい」

昔「派手な格好」→今「普通の格好」

 同著では、兵庫県、秋田県、練馬区などでの社会調査の事例が紹介されていた。これに倣い「彼らは他の地域のヤンキーと同じなのか、はたまた特殊なのか」という軸で聞き込みをするため、成人式会場に向かった。

「将来の夢は、社長です」

 1月8日、成人式当日、会場となった北九州市小倉北区「北九州メディアドーム」(競輪場)には、開始2時間前にすでに「彼ら」がいた。会場外でノリノリで別メディアの写真撮影に応じている。

“枝光台中(八幡東区)”の面々に話を聞いた。

 筆者注:質問者のレコーダーに対して複数が回答したものを分かりやすくまとめ直しました(以下同)。

 

「衣装は代表者が中心に動いて、みんなで選んで決めました。総額200万円くらい。働いて貯めた奴もいるし、親のすねをかじっている奴もいます。今一番大切にしているのは、自分の車かな。もちろん地元の仲間も大事。関係はこの先もずっと続いていくと思います」

ーー東京でひと旗揚げたい気持ちは?

「あんまりないです。逆に地方出身者の集まりでしょ? 行ってもぼったくりに遭うのがオチでしょう。将来の夢は、社長です。昔と今のヤンキーは違うと思いますよ。今は悪いことをしたらすぐに捕まるので。昔はね、指導員の方が道場でちょっと背負い投げすれば(注:喝を入れれば)済んだようなことが、今は即逮捕に繋がりますからね。僕自身もあんまり悪いことはしてませんよ」

「両親との関係は、円満です」

“霧丘中(小倉北区)”の面々はこんな言葉を。

 

「髪型は明日には元に戻します。今、一番大切なもの。なんすかね、奥さん……かな。ペットも大切。将来の目標はカリスマ美容師です。美容師なんで。カッコいいお父さんになれたらいいと思います。昔悪いことは……そんなにはしてないですよ。両親との関係は、円満です。めっちゃ仲いいですよ。勉強しろ、と強く言われたこともありませんし

ーー東京に行ってみたいですか?

「修学旅行で一度行きました。もう結構です」

ーーひと旗揚げてみたいですか?

「結構です。恥ずかしいです」

「幸せになりたいです」

 いっぽうで”八幡出身”の女子はこんな発言も。

 

「髪型は明日戻しますよー。今、一番大切にしているものはお金かな……東京に出て成功したいという気持ちは……えーっありますよ。私、母子家庭なんですけど、お母さんもヤンキーでした。話を聞くと『ごくせん』のような感じがして。最近はギャル系ですよね。喧嘩はせず……いや、したかな20対20くらいで。昔は上下関係が厳しい感じだったらしいですよ。今はみんなが仲いいです。将来の夢はお嫁さんです。幸せになりたいです。ちゃんと載る? 載せてよ。ビッグになります。バイバーイ」

ではなぜ、“古い格好”にこだわるのか。

 彼らは他地域にいる「マイルドヤンキー」と同一の範疇にある。そう感じた。地元志向が強い。グループを観察していくと「中学校の繋がり」で集まっているのがほとんど。“湯川中(小倉南区)”の集まりからは「なんならこの後ゴミを拾って帰る」との声も聞かれた。夢についても現実的なものが多く、「子どもの頃から貧乏で苦労したので、穏やかに暮らしたい」といった考えも。『ヤンキー経済』に出てくる現代ヤンキー像とほぼ重なった。

 ではなぜ、もはやこの地方固有にも見える”古い格好”にこだわるのか。

「昭和な感じがカッコいい。先輩を見てきたし」(枝光台中)

「先輩たちがやってきたから」(霧丘中)

 メディアを通じて知る他の地域(世界)の情報よりも、自分の直接知る先輩の姿のほうが、はるかにビビッドに伝わる。これもまた「マイルドヤンキー」の姿だと感じた。ただ、そのスタイルが他地域とは少々違う、という点はあるが。彼ら自身もそれは自覚していて「北九州といえばこのスタイルの成人式」(湯川中)という。

 本当に彼らは礼儀正しかった。しっかりとした敬語でこちらと接してきた。撮影中に「写真、送るよ」と話しかけると、「え? タダでいいんですか?」と謙虚に聞いてくる若者もいた。当日、何をしているかというと、会場の外でわいわいとだべるだけ。他中学の集まりとすれ違っても喧嘩をするわけでもない。

 一番盛り上がったグループが何をしていたかというと……酒を飲んで旗をもって、成人式会場外の芝生の公園に集まる。そこで「小倉!」「戸畑!」「門司!」などと自分たちの出身区の名前を叫ぶ。自分たちが最高だと郷土愛を主張しあっていた。

 そもそも式場の入り口には県警が立ち並び、“暴れる人たち”を最初から会場に入れない雰囲気を作るという“工夫”もあった。もちろん現場の“普通の”スーツ姿の若者からは「北九州のイメージが固まるのは困る。20歳にもなってそんなことで主張しないといけないのか?」との意見もあった。さらに見た限りでは、一部グループが来場時に車に箱乗りしていたことが“危険行為”と感じた。

北九州における成人式の意味とは何なのか

 では、この北九州市の成人式のありようをどう説明したらいいのか。

「成人式の意味の変容」。そんなキーワードがあると感じた。

 まずは、“ちょっとやんちゃなことを、いっそのことオフィシャルな場でやってしまいなさい”という考え方。かつて、北九州出身の筆者の近隣の高校では、「バイクの免許取得禁止」の校則を発していたが、あまりに違反者が後を絶たないため、一転「学校側が安全なバイク運転を指導する」というやり方に変えたことがあった。なるほどな、と思ったものだ。

 もうひとつ、同じ九州のラ・サール高校にはこんな風習がある。例年9月中旬に行われる体育祭で、学校側が3年生に「髪を染めること」、「刺繍入りの学ランの着用」を許可し、各チームの応援を行う。生徒たちは体育祭後、髪の毛を丸坊主にして、頭を切り替えて受験戦争に挑む。先生たちはこれを「成仏」と呼ぶという。北九州の成人式と同じ理屈だ。

 現代の成人式のルーツは諸説あるが、おおよそ「大人になった自覚を持つ」という思いを新たにすることが目的だっただろう。しかし、少なくとも北九州の地では「若くして職業に就く彼ら」が、「この日だけはパッとやって、あとは日常に戻る」という、地域のなかでの重要な意義がある。

 必要なことだ。これを文化人類学や民俗学的に説明しようとすると文字数が足りないから別の機会に譲るが、およそ九州地方では理解される感覚ではないか。 若者、この日だけはルールに沿って派手にやり、次の日から日常を必死に生きていこう。そんなことを思った。成人式というか、成人祭。そういったところか。

 

写真=吉崎エイジーニョ